大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和33年(う)986号 判決

判決目次

主文

理由

第一部 控訴趣意に対する判断

第一 同第一点について

第二 同第二点について

第二部 破棄自判

第一 事実

一 被告人が菅生村に特派された事情とその任務

二 後藤秀生らの中核自衛隊の結成と武器の収集

三 被告人がダイナマイト等を受取に行くまでの事情

四 罪となるべき事実

第二 証拠の標目

第三 弁護人らの主張に対する判断

一 主張その一

(一) 罰則第五条の解釈について

(二) 後藤秀生らの使用目的に関する被告人の知情について

(三) 被告人の本件行為は同第五条に該当する

二 主張その二

(一) 職務行為をめぐる二つの問題

(二) 正当な職務行為についての判断基準

(三) 上司の指示命令と職務行為

三 主張その三

(一) 違法性に関する錯誤について

(二) 正当な職務行為と誤信したことについての相当の理由の有無

第四 法律の適用

罰則第一一条の適用について

一 被告人の報告は同第一一条の自首に当るか

二 本件ダイナマイト等によつて危害が生じたかどうかの検討

三 同第一一条後段の要件を具備する

被告人 戸高公徳

控訴人 検察官

検察官 山根静寿

主文

原判決を破棄する。

被告人に対する刑を免除する。

理由

検察官山根静寿が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の大分地方検察庁検察官検事奥田繁作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人松阪広政・同平松勇・同鶴田英夫三名連名名義の答弁書(訂正書を含む。)に記載のとおりであるから、これらをここに引用する。

第一部  控訴趣意に対する判断

第一、控訴趣意第一点(法令の解釈適用の誤)について。

期待可能性がなければ責任がないということについての、法令上の根拠がないことは、所論のとおりである。しかし、刑法の規定の中にも、期待可能性の理論でもつて、その理論的な根拠を説明するのが妥当と思われるものが存在する。例えば、刑法が、過剰防衛(第三六条第二項)・過剰避難(第三七条第一項但書)の場合に、刑の任意的減免を規定し、或は、犯人又は逃走者の親族が、犯人又は逃走者のためを思つて、かくまつたり、証拠をいん滅したりした場合に、刑の任意的免除を規定(第一〇五条)するのは、期待可能性の乏しい場合であるとして理解できるし、また、盗犯等の防止及び処分に関する法律第一条第二項が、行為者が、恐怖・驚がく・興奮又は狼狽によつて、犯人を殺傷する行為に及んだ場合においては、一定の要件の下に「これを罰せず」と規定するのは、やはり期待可能性がない場合であるからと理解できよう。

期待可能性理論について、理論構成の確立していない点があることも、所論のとおりである。中でも、期待可能性の有無を判断する標準について、それは、どんな体系的地位を占めるものであるかについて、その適用範囲――故意犯への適用について、及び一般的な超法規的なものであるか、それとも刑法上の規定のある場合に限られるものであるかの――等について、見解の対立が存在し、今後の学説判例の発展にまつ点の多いことも事実である。従つて、その明確な定義も、必ずしも確立していないが、一般に、行為の際の具体的な事情の下において、行為者に対して、その行為に出ないことを期待することができない場合、換言すれば、現実に行われた違法行為の代わりに他の適法行為に出ることを期待できない場合には、行為者に対して、その違法行為に出たことの責任を問うことができないとする理論、として理解できる。

これら理論の未確立、或は、法令上の明確な規定のないことは、未だ超法規的責任阻却事由としての期待不可能性を抹消し去ることはできないと解する。所論指摘の最高裁判決も、期待可能性理論を全く否定視去つたものとは解せられない。期待可能性の不存在を超法規的責任阻却事由とすることを目して、所論のように違法視するのは当らないというべきである。論旨は理由がない。

第二、控訴趣意第二点(法令の解釈適用の誤)について。

原判決が、本件の場合、被告人には期待可能性がないとして、責任が阻却され、罪とならないとの結論を下していることは、原判決文によつて明らかなところである。

原判決のこの判断を検討するに、その冒頭に、「被告人の本件行為当時の諸般の事情について検討するに」との書き出しをもつて、1ないし6の事情を列挙して、総合判断の対象に供していることは、所論の指摘するとおりである。そこで、まず、右の各事情についての考察からはじめることとする。

(一)  その中、1と2の事情は、帰するところ、本件行為当時における、全国的及び当該地域的な、一般的社会情勢というべきものである。

ところで、期待可能性の理論を、前記のとおり、行為の際の具体的な事情の下において、行為者に対してその行為に出ないことを期待することができない場合の問題であると理解するならば、期待可能性の有無についての判断の対象となるのは、当該行為の際の具体的な事情であつて、右行為の当時における一般的社会情勢ではないというべきである。そうしてみると、この一般的社会情勢は、さらに、行為の際の具体的な事情と結び付かなければ、それだけでは、期待不可能性を認める事由とはなし得ないものといわざるを得ない。

(二)  その中、3と4の事情は、被告人の任務・使命についての説明であり、

(三)  その中、6の事情、すなわち、

本件ダイナマイト等を後藤秀生に交付した後における行為は、それ自体としては、犯行後の事情に属し、本件犯行の成否とは直接関係のない事柄であり、従つて、期待不可能性を認める事由とはなし得ないものというべきである。

(四)  その中、5の事情として、

武器の材料がダイナマイト等の爆発物であつたけれども、これを後藤秀生に交付しないことは、爾後における同人等との接触を断絶することになり、被告人に与えられた任務を遂行するに支障となると考えるのも一応無理のないことであつたこと

と説示し、引きつづく箇所において、当時の緊迫した情勢と被告人の任務・使命とを考慮に加えた上で、本件ダイナマイト等を村田克己より受領した後、これを運搬・保管して後藤秀生に手交しないことを被告人に期待することは、……甚しく苛酷に失するものと認めざるを得ない

と判断し、なお、説明を附加して、被告人が上司小林部長から受けた指示についても、

被告人が村田克己から受け取つた物件がダイナマイト等であつたとしても、これを後藤秀生に渡すことが当然指示されているものと考えたことは、その使命からして無理からぬところであり

とし、

これを直ちに後藤秀生に交付しないで小林部長に報告しなかつたこと、及び運搬して同人に交付した後に直ちに報告して事後の指示を受けなかつたことを責めるのは、被告人の置かれた当時の情況下においては著しく難きを強いる嫌があり云々

との説明を加えている。

(五)  しかしながら、他の適法行為を全く期待できなくするような具体的な事情は、原判決文からは全く認められないのみならず、被告人が、他の適法行為に出なかつたことについて、刑法上非難の余地が残されていることは、原判決の右摘示部分からしても、認容されているところでもある。なお、原裁判所の取り調べた証拠によつても、また、当裁判所の事実取調の結果によつても、本件につき、期待可能性がないことを認めるに足りる事情を発見することはできない。

これを要するに、

原判決が認定した、「日本共産党(以下日共と略称する。)の軍事活動が全国的に活溌となり、し烈を極め、緊迫した情勢にあつた当時、治安上警戒を要する事案がひん発し、日共党員による武器収集が行われているとの情報があり、治安上情勢把握が緊急を要する事態にあつた菅生村方面の、情勢の探究が困難であつたとき、上司の特命により、警察官の身分を隠して右地域に潜入し、同方面の日共党員の精鋭分子に接近して、その収集しようとしている武器の種類・数量・関係人物・保管場所等を明らかにしようとつとめた被告人が、右党員から武器の材料を受け取つて来てくれと頼まれ、上司の指示を受けて受領に赴き、そこではじめて、それがダイナマイト等の爆発物であることを知つたが、同党員にこれを交付しないと、その後における同人らとの接触を断つことになり、自己に与えられた任務を遂行するのに支障となると考えたので、これを同党員に交付し、その後においては、可能な範囲で、これを監視し、かつ、上司に報告して適宜な措置を講ずるよう努力した」

という諸事情は、これをもつて期待可能性がないことを基礎づける事情と認めることはできないというべきである。

原判決が、それにもかかわらず、前記の諸事情の存在をもつて、本件の場合被告人には期待可能性がないと判断したのは、理由の不備若しくは法令の解釈適用を誤つた違法があるものであり、この違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

弁護人らの答弁は、理由がない。

第二部  破棄自判

以上の理由により、刑訴法第三九七条第一項を適用して、原判決を破棄した上、同法第四〇〇条但書に従い、本件について、さらに判決する。

第一、事実

一、被告人が、菅生村に特派された事情とその任務。

被告人は、国家地方警察大分県本部警備部警備課に巡査部長として勤務し、左翼関係の情報収集の任務についていた者であるが、昭和二七年三月初旬頃(以下、昭和二七年を略して、単に月日だけをもつて表わす。)同警備部長小林末喜より「大分県直入郡菅生村(現在竹田市に編入)附近の日本共産党のいわゆる軍事活動の実態を探知把握してくれ。なお、報告・連絡は直接同部長にせよ」との特命を受けた。そこで、同月中旬頃、警察官の身分を隠して、市木春秋という変名を使つて、同村大字菅生、製材業松井波津生方(同人とは、以前国鉄日豊線の同列車に乗り合わせて、面識があつた。)に住み込んで、潜入するに至つた。

二、後藤秀生らの中核自衛隊の結成と武器の収集。

被告人は、その後、機会をとらえて日共党員に接近することに努め、間もなく、同党員の精鋭分子である後藤秀生らに近づくことに成功し、四月下旬頃には、後藤秀生から入党を勧められ、その手続をとつた。ついで、五月一日頃、後藤秀生から中核自衛隊の結成が提唱され、中核自衛隊の任務について、権力機関との斗争を目的とする秘密組織である旨の説明があつた。そして、その斗争の手始めとして、後藤秀生の口授するままを被告人において書き取つた脅迫文を、当時の国家地方警察大分県竹田地区警察署菅生村巡査駐在所(現在、竹田警察署菅生巡査駐在所)に後藤秀生が投げ込んだ。さらに、その後、後藤秀生から、中核自衛隊の活動方針等について、『現に手投弾をある処に隠してある。地区か県の上級機関にも上納しなければならないので、引きつづき武器を入手する必要がある』旨の話があつた。

三、被告人が、後藤秀生の依頼を受けて、本件ダイナマイト等を受取に行くまでの事情。

被告人は、五月一四、五日頃、同村大字菅生字下菅生の菅耕方での会合で、後藤秀生から「これを持つて、大分県大分郡判田村(現在、大南町)に行き、佐藤から武器の材料を取つて来てくれ」との依頼を受け、一通のレポ文……表面に「安藤精米所気付佐藤次郎様」とあり、裏面に「大分黒田」と記載されている……を渡された。そこで、被告人は、同月一七、八日頃小林部長を大分市のその官舎に訪ね、事の次第を報告し、レポ文を示して、指示を求めた。右レポ文には、

……先般は失礼しました。……先般お願いした件について、今後月に定期的に三回に分けて受け取りたいと思つておりますので、貴方にて何時受領に来ても現品が揃うように、日常において計画的に仕事をして下さると、当方非常に都合がよくなりますも、すべては、貴男の御理解ある協力を待ちます。

1 要件 このレポを持つている者に渡して下さい。

(洋文字)男(洋文字)6名

(洋文字)女(洋文字)2名

をぜひ御都合して下さい。……

と記載されているが、同部長とともに検討を重ねても、後藤秀生のいう武器の材料がどんな物かは、解読できず、全く予想がつかなかつた。そこで、同部長から改めて『武器の材料を確認し、佐藤の正体をつきとめる必要があるから、これを持つて佐藤の処へ行つて来い。そして、後藤から頼まれたのだから、品物を受け取つた上は、後藤に渡さねばならないだろう。渡した後は、できるだけすみやかに報告せよ』との指示を受けた。被告人は、同日直ちに判田村に出向いて、レポ文の名宛人である佐藤を探した。すると、佐藤というのは、実は、村田克己の偽名であることが分つたが、その日同人と会うことはできずに菅生村に引き返した。

四、罪となるべき事実

被告人は、その後、五月二九日頃の正午過ぎ頃右判田村において、村田克己と会つて、レポ文を渡し、同村大字下判田の柴尾諌作方附近の薪小屋辺りで、油紙に包んだ長さ一〇糎位の棒状の物一四本、キセルのがん首より少し小さい真ちゆう製様の長さ三糎位の物一〇本及び紐状の長さ一〇米位の被覆線様の物を同人から受け取つた。その際、村田克己の説明で、それが爆発物であるダイナマイトと雷管及びその使用に供すべき器具である導火線であることを知つた被告人は、後藤秀生らが、治安を妨げ又は人の身体財産を害しようとする目的をもつて、爆発物等を所持するものであることの情を知りながら、同人の依頼によつて、同人らのため、右ダイナマイト等を風呂敷に包んで、携行・運搬して、同日夕方菅生村に持ち帰り、松井波津生方において保管して、もつて寄蔵した上、同日午後九時過ぎ頃同村の菅耕(菅忠愛の父)方表出入口土間で、これを後藤秀生に交付して、もつて譲与したものである。

第二、証拠の標目

1.原審各公判調書中の、被告人の供述記載

2.被告人の、検察官に対する、昭和三二年八月三日、同月一六日、同年九月一二日、同年八月二四日附各供述調書(検第九号、第三二号ないし第三四号)

3.被告人の当審公判廷における供述

4.村田克己の検察官に対する、昭和二七年六月一一日、同月一六日、同月一八日附及び同月一四日附各供述調書謄本(検第一号、第一九号、第二〇号及び第一八号)

5.検察事務官が昭和三二年七月一〇日撮影した写真及び写真撮影顛末書(検第六号)

6.検察事務官作成のレポ原文等の謄本(検第七号)

7.小林末喜の検察官に対する供述調書(検第八号)

8.当審証人小林末喜の公判廷での供述

9.司法警察員作成の差押調書謄本(検第一五号)

10.裁判官作成の爆発物保管嘱託書謄本(検第一六号)

11.菅忠愛の検察官に対する昭和二七年六月六日、同月七日、同月一二日附各供述調書(検第一一号から第一三号まで)

12.裁判官の菅忠愛に対する証人尋問調書(検第一四号)

第三、弁護人らの主張に対する判断。

弁護人らは、当審において、つぎの三点を主張しているので、これに対して順次判断を加えることとする。

一、主張その一。

弁護人らは、「被告人の本件行為は、爆発物取締罰則第五条の犯罪構成要件を充足せず、同条の罪を構成しない」と主張する。

(一) 罰則第五条の解釈について。

弁護人らは、まず第一に、「罰則第五条は、罰則第一条又は、せいぜい第二条の犯罪者を幇助する行為を独立罪として規定したものであり、第三条の犯罪者のための幇助行為を含まないものである」と主張する。

(1)  罰則第五条にいう「第一条に記載したる犯罪者」の意味について。

(イ) 罰則第五条は、「第一条に記載したる犯罪者の為め」と規定する。この「第一条に記載したる犯罪者」とは、罰則第一条の「治安を妨げ又は人の身体財産を害するの目的を以て爆発物を使用したる者及び人をしてこれを使用せしめたる者」を指すことは、文理上明らかである。問題は、第五条にいう「第一条に記載したる犯罪者」とは、弁護人らの主張するように、文字どおり第一条に記載の犯罪者だけに限ると解すべきか、それとも、検察官主張のとおり、第三条の犯罪者をも含むと解すべきかにかかつている。

(ロ) 罰則第一条以下第五条までの規定をみると、

第一条は、所定の不法の目的をもつて「爆発物を使用した者及び人をして使用せしめた者」を処罰の対象とし、とくに、人をして使用せしめた、共犯ないし間接の実行行為者をも含んでおり、

第二条は、第一条の犯罪の未遂犯を独立に処罰する規定であり、

第三条は、第一条の予備行為に当る行為を独立罪として処罰の対象とし、

第四条は、教唆・せん動・共謀等を正犯に従属させず、独立罪として処罰の対象とし、

第五条では、第一条の犯罪者のため、予備行為をもつて幇助した者を、同じく独立罪として処罰の対象とする。

以上要するに、第一条以下第五条までの処罰規定は、すべて、第一条所定の不法の目的をもつて、爆発物等を使用する罪に関するものであるとともに、その各種段階・各種態様の行為を、いずれも、独立罪として処罰の対象とする点において、刑法の規定に比べて、処罰の範囲を著しく拡大しているという特色を見出すことができる。この特色は、同罰則の立法精神から説明することができる。すなわち、爆発物は、人命、財産を殺りく破壊する力が強大であり、もしも不法に使用されるとすれば、その損害は甚大で、社会の秩序・治安は混乱に陥ることが自明であるので、爆発物の不法使用に関する犯罪を重大視して、同罰則が制定されたものであることからして、理解できるのである。

(ハ) 一般に、教唆犯・幇助犯の成立は、正犯の実行行為があつたことを必要とすると解される。従つて、この見地に立てば、(A)正犯の実行行為がある限り、刑法第六一条・第六二条の規定によつて、教唆犯・幇助犯が処罰され、特にこの処罰のために特別の罰則規定を設けるの必要はないわけである。(B)正犯の実行行為のない場合には、教唆犯・幇助犯も成立する余地がない筋合であり、教唆犯・幇助犯が、単に教唆犯・幇助犯に止る限りは、処罰されないわけである。ところが、犯罪の重大性に着眼して教唆犯・幇助犯を独立罪として規定する法律がある。同罰則第四条・第五条も、その一例である。すなわち、第五条についていえば、正犯の実行行為のない場合であつても、つまり、単に幇助だけに止つた場合であつても、正犯の実行行為のあつた場合と同様、これを幇助犯として処罰しようとする規定であると解釈すべきである。このように見てくると、幇助犯の処罰規定である第五条は、正犯が実行行為に至つていない、予備(第三条)の段階にあるときも、これを処罰する趣旨であるということができる。

(ニ) なお、同罰則第一一条後段は、「第五条に記載したる犯罪者も亦同じ」と規定している。これをその前段及び同第五条によつて補充して読むと、「第一条に記載したる犯罪者の為め情を知つて爆発物若くは其使用に供す可き器具を製造輸入販売譲与寄蔵し及び其約束を為したる者」(第五条)といえども、第一条所定の目的をもつて爆発物を使用し又は人をして使用せしめない「前に於て官に自首し因て危害を為すに至らざる時は其刑を免除す」(第一一条前段)べき旨を定めたものであることが明らかである。そこでもし、同第五条にいう「第一条に記載したる犯罪者」を、弁護人所論のように、「第一条に記載したる犯罪者」だけに限るとすれば、第一条は、上記のとおり、「所定の目的を以て爆発物を使用したる者及び人をして之を使用せしめたる者」を処罰の対象としているのであるから、第五条所定の譲与・寄蔵等の犯罪者は、たとい官に自首しても、つねに第一条の犯罪者が同条所定の犯罪を遂行していることとなる結果、第一一条後段により刑の免除を受け得べき場合が存しないこととなり、同条後段の立法精神に背反することとなるであろう。

(ホ) 以上要するに、罰則第五条は、「第一条に記載したる犯罪者の為め」と限定して規定し、「前各条に記載したる犯罪者の為め」と規定していないから、疑問をさしはさむ余地がないわけではないが、同罰則の立法精神・同罰則規定の比較検討その他、前記の理由から考えて、同条にいわゆる「第一条に記載したる犯罪者」の中には、第一条の爆発物使用の既遂犯及び第二条の爆発物使用の未遂犯の外、第三条の予備行為をなした犯罪者をも含むものと解するのが相当である。

(2)  なお、弁護人らは、「第五条にいう幇助犯と、第三条・第四条にいう予備・陰謀犯とを同一の法定刑をもつて律しているのは、均衡を失する」と指摘する。

しかし、右三者間に差等を設ける実質的な理由がないから、罰則が同一の法定刑をもつて臨んだものと認められ、こうした事例は、国家公務員法第一一一条、地方公務員法第六二条、自衛隊法第一一八条第二項等、他の立法例にも見受けられるところであり、法定刑の均衡の点は、罰則第五条の前記解釈に何らの影響を及ぼすものでもない。

以上の理由により、罰則第三条に規定する予備行為をなす者のため、その情を知つて、これを幇助する行為をなした者は、同第五条に該当するものというべきである。弁護人らの所論は採用に値しない。

(二) 正犯である後藤秀生らの使用目的に関する被告人の知情の有無について。

(1)  弁護人らは、第二に、「被告人は、後藤秀生らが、第一条に定める目的をもつて、本件ダイナマイト等を使用するということを知らなかつたものである」と主張する。

被告人は、検察庁での取調以来、今日まで終始一貫して、「後藤秀生が、本件ダイナマイト等を受け取つて、それをどうするか全く分らなかつた」「後藤秀生が、ダイナマイト等を、自ら直接使用するとは考えていなかつた」「日共の上部機関に上納するのではないかと予想した」旨供述して来ていることは、前記証拠により明らかなところである。

(2)  そこで考えるに、前記第一、事実の項に記載したところから明らかなとおり、

(イ) 後藤秀生らは、日共の非合法軍事活動の用に供する「武器の収集」を企てており、本件ダイナマイト等もまた、同人が「武器の材料」として入手を図つたものであることが極めて明らかである。

後藤秀生のダイナマイト入手の目的が、このように「武器の材料」であつたことは、前記に認定した本件の具体的状況を考慮に加えるとき、とりもなおさず、同人らの究極の使用目的が、「治安を妨げ又は人の身体財産を害せんとするの目的」であつたものといつて少しも妨げない。

(ロ) それとともに、被告人の知情の点に関していえば、被告人は、後藤秀生らが、日共の非合法軍事活動の用に供する「武器の収集」を企てており、本件ダイナマイト等もまた、同人が「武器の材料」として入手を図つていることを、十分に知つていたことが極めて明らかである。従つて、前段と同様に、本件の具体的状況を考慮に加えるとき、被告人が、後藤秀生のダイナマイト入手の目的が「武器の材料」であつたことを十分に知つていたことは、とりもなおさず、後藤秀生らの使用目的が、「治安を妨げ又は人の身体財産を害せんとする目的」であることを、十分に知つていたものといつて少しも妨げない。

(3)  被告人が、かりに、「日共の上部機関に上納するのではないかと予想した」としても、このことは、右認定を左右するものではあり得ない。

被告人が、「後藤秀生が、それをどうするか全く分らなかつた」と供述する点は、右の意味において、採用することができない。

被告人は、「後藤秀生が、ダイナマイトをどうするか分らなかつた。分らなかつたからこそ、どうするかを掴むため、同人らの使用目的や保管場所その他を明らかにするため、これを後藤秀生に渡したのである」と供述して来ている。本件において、被告人が、あえて後藤秀生らのため本件犯行の道を選ぶに至つた目的は、後藤秀生らが、本件ダイナマイト等を受け取つた後において、これをどのように措置するかの具体化を見届けるため、いわゆる日共の武器収集の実態を探知把握するためであつたに外ならないと認めることができ、かつ、このように考えるのが至当であろう。しかし、被告人は、後藤秀生らの前記使用目的を知つて本件行為に出たものであること、前記のとおりであるから、この被告人の供述も採り上げることはできない。

弁護人らの、「被告人は、後藤秀生らの使用目的が第一条の目的であることを知らなかつた」という主張は、採用に値しない。

(4)  弁護人らの主張の中、「被告人は、後藤秀生が自ら直接使用することは知らなかつた」という部分について、考察する。この主張に対する判断の前提として、罰則第三条の解釈を示す必要がある。

(イ) 罰則第三条の解釈について。

罰則第三条の要件は、法文によつて明らかなとおり、「第一条の目的をもつて、爆発物等を製造・輸入・所持・注文(以下説明の便宜のため、所持等という。)をなした」ことである。さらに分りやすくいいかえると、「第一条の(治安を妨げ又は人の身体財産を害せんとするの)使用目的をもつて、爆発物を使用しようとして、所持等の予備行為をなした」ことを要するわけである。

従つて、所持等の予備行為をなした者が、「自ら爆発物等を使用しようとした」ことは、必ずしもその要件ではないというべきである。というのは、「爆発物を使用しようとした」という表現は、「使用しようとした予備行為」というように「所持等の予備行為」にかかるものであり、「所持等の予備行為をなした者が使用しようとした」というように、「第三条の犯罪者」にかかるものと解すべきではないからである。第三条にいわゆる所持等の予備行為をなした者は、爆発物等を自ら直接使用しようとして、その予備行為をなした者であれ、自らは、共謀共同正犯又は幇助犯の意図の下に、その予備行為をなした者であれ、その意図如何にかかわらず、等しく予備行為をなした者といい得るからである。

(ロ) 罰則第五条幇助犯の知情について。

罰則第五条幇助犯の規定が、同第三条予備犯の幇助行為をもその対象に含むと解すべきことは、前記のとおりである。この場合第五条幇助犯の罪が成立するためには、幇助者が、「情を知つて」いること、つまり、第三条所定の行為を認識することを要するわけである。第三条に定める要件以外の事実を認識することは必要でないこともちろんである。

第三条予備犯の要件として、第三条に定める犯罪者が、「自ら爆発物等を使用しようとした」ものであることは、その要件でないこと、前記のとおりである。従つて、第五条幇助者が、「第三条に定める犯罪者が、自ら爆発物等を使用しようとしたものである」ことを認識したかどうかは、第五条幇助犯の罪の成否には関係のない事柄であることが明らかとなる。

本件にあてはめていえば、後藤秀生(第三条の予備行為をなした者)が、本件ダイナマイト等を不法に「自ら直接使用しようとした」ことを、被告人(第五条幇助犯)において知つていたことは、第五条幇助犯の罪の成否に影響のない事柄であるというべきである。

いやしくも、被告人において、後藤秀生らが第一条に定める使用目的をもつて、爆発物を所持するものであることを知つている以上、同人らが自ら直接に使用しようとするの意図を有していたことを知らなかつたとしても、第五条の罪責を免れ得るものではあり得ない。被告人の弁解も、弁護人の主張も、いずれも理由がないものである。

(三) 被告人の本件行為は、同第五条に該当する。

以上の理由により、被告人において、後藤秀生らが、第一条に定める目的をもつて、本件ダイナマイト等を所持するものであることの情を知つて、その求めに応じ、同人らのため村田克己からこれを受け取つて、携帯・運搬・保管して、後藤秀生に交付した被告人の本件行為は、後藤秀生らの、第一条の目的をもつてする爆発物使用罪の予備の段階において、これを幇助したものということができる。被告人の本件行為は、第五条に規定する、第一条に記載した犯罪者のためその情を知つて、爆発物若しくはその使用に供すべき器具を寄蔵し、かつ譲与した場合に該当し、同条の構成要件を充足する行為であるといい得る。

二、主張その二。

弁護人らは、「被告人の本件行為は、刑法第三五条に規定する「正当の業務によりなしたる行為」であるから、違法性は阻却される」と主張する。

(一) 職務行為をめぐる二つの問題。

被告人が、後藤秀生から『武器の材料を取りに行つてくれ』と頼まれ、上司の指示を仰ぎ、武器の材料が何であるか分らないまま受取りに赴き、村田克己から受け取つて見て、はじめて武器の材料がダイナマイト等の爆発物であることを知り、これを携帯・運搬・保管して、後藤秀生に交付した本件被告人の行為について、被告人は検察庁での取調以来、終始一貫して、「菅生村における日共の軍事活動を把握し、武器収集の実態を究明しようとして、その職務遂行の意図の下にこれを行つたものである」旨弁解して、「もしも、本件ダイナマイト等を後藤秀生に交付しないとすれば、後藤秀生らとの接触が断たれることとなり、右ダイナマイト等が、どのように使用され、どこに隠匿保管されるのか、関係人物がどのように動くのか等の具体的情勢を把握することを断念することとなり、ひいて、武器収集の実態究明の目的を達成することができなくなるので、使命達成のためには、本件行為に出ることが絶対に必要であると考えた」旨供述して来ている。なるほど、被告人は、自己に課せられた任務・使命を果すために必要なことであると考え、正当な職務行為であると信じて、あえて本件行為に及んだものであると、本件を観察するのが相当であろう。

本件における違法性の問題、責任の問題は、ひつきよう職務行為という点をめぐる客観的及び主観的両面における法律問題であるとして理解できる。

(二) 正当な職務行為についての判断基準。

刑法第三五条後段は、「正当の業務によりなしたる行為はこれを罰せず」と規定する。警察官の情報収集活動の方法について、考えるに、もとより、それは無制限に認容されるものではあり得ない。情報収集活動が、公共の安全と秩序の維持というような、警察にとつての至上の目的のためのものであるにせよ、その理において変るところはない。公共の安全と秩序の維持のための警察官の情報収集活動であつても、その目的の正当性が、その手段としての情報収集行為のすべてを正当化し、合法化するものとは、とうてい認めることができない。その行為が正当な職務行為であるといい得るためには、国家法秩序に照らして、その行為の目的との関連において手段方法として相当と認められるものでなければならないのである。その行為が、目的に対する手段方法として公の秩序・善良の風俗に反するものであるならば、それはもはや正当な職務行為とはいい得ないものと解すべきである。

そして、この判断に当つては、関係法規をはじめとして国家法秩序全体の精神に基いて、健全な社会通念によつて合理的に判断されなければならないこともちろんである。

被告人の本件行為が正当な職務行為に当るかどうかの判断も、以上の観点において、なされることが必要である。そうして見ると、本件の場合における警察官の職務活動については、一方において、警察法第二条第一項が「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」と規定して、警察の責務を明らかにしていることを考慮し、他方においては、爆発物取締罰則が、爆発物ほど人命財産を殺りく破壊する力の強いものは他に類例の少ないものであり、一たびこれが不法に使用されるならば、その損害は甚大であり、公共の安全と社会の秩序・治安は混乱に陥るであろうことをおもんばかつて、同罰則違反の犯罪行為に対しては甚だ重い刑罰をもつて臨み、同第七条・第八条において告知義務の規定を設け、これに違反した者を処罰すると定め、もつて爆発物不法使用に関する犯罪を重大犯罪視している法意が考慮されなければならない。

被告人は、後藤秀生らが、治安を妨げ又は人の身体財産を害しようとするの目的をもつて、本件ダイナマイト等の入手を企てたことを十分知つていたものであること、及び現実に、後藤秀生の依頼により村田克己から「武器の材料」を受け取つたとき、はじめてそれがダイナマイト等の爆発物であることを知るに至つたことは、いずれも前記認定のとおりである。すなわち、その際、爆発物の入手経路・これに関連する人物・入手目的等が判明するに至つているのである。被告人は、爆発物取締罰則違反の事態が現に発生したのを現認したわけであるから、直ちに警察本来の使命に思いをいたし、上司への報告及び犯罪の予防と鎮圧への配慮等の措置をとることこそ、現職警察官としての被告人に課せられた任務であるというべきである。菅生村における日共の軍事活動の把握、武器収集の実態究明という目的が、当時の警備警察上或は公共の安全と秩序の維持上、最大の喫緊事であるとしても、この目的追求の任についた現職警察官としての被告人が、前記の措置を事前にとることなく、右目的達成のための手段として、爆発物取締罰則違反の本件行為に及んだのは、国家法秩序に照らして、警察官の情報収集活動の手段方法として相当なものとは、とうてい認めることができない。明らかに正当な職務行為の範囲を逸脱したものというべきである。被告人が「本件ダイナマイト等を後藤秀生に交付しないとすれば、後藤秀生らとの接触が断たれることとなり、右ダイナマイト等が、どのように使用され、どこに隠匿保管されるのか、関係人物がどのように動くのか等の具体的情勢を把握することを断念することとなり、ひいて、武器収集の実態究明の目的を達成することができなくなるので、使命達成のためには、本件行為に出ることが絶対に必要である」と考えたというような被告人の主観的意図は、本件行為を正当な職務行為化するものではあり得ない。被告人の右弁解を採用することはできない。

(三) 上司の指示命令と職務行為。

なお、弁護人らは、「被告人の本件行為は、上司の指示命令によつたものであり、上司の命令は適法であり、これに従つて任務の遂行のためなした行為であるから、違法性はない」とも主張する。

なるほど、被告人は、最初小林部長から『報告・連絡は直接同部長にせよ』と命ぜられたことは、前記のとおりである。しかし、これは、被告人が小林部長の特命を受けて菅生村に潜入する際に与えられた指示命令であつて、もとより、後藤秀生の依頼によつて同人らのため本件ダイナマイト等を受け取るという事態の発生を前提としたものでないことは、極めて明らかである。つぎに、被告人が後藤秀生から武器の材料の受取方を頼まれた際に、同部長から二回目に与えられた指示命令は、『武器の材料は後藤から頼まれたのだから、品物を受け取つた上は、後藤に渡さねばならないだろう。渡した後は、できるだけすみやかに報告せよ』というものであつたことは、前記のとおりである。この指示命令は、武器の材料の内容が全く不明であつたから、これを運搬・交付することによつて、その内容・数量・関連人物等を確認せよという趣旨であつたに過ぎず、被告人が受け取る武器の材料が、本件の場合のように、ダイナマイト等であることを前提・包含するものでないことは、当審における証人小林末喜の供述によつて明らかなところである。従つて、いずれにしても、小林部長の指示命令は、被告人を拘束するものではないし、それは適法な命令であるから、いわゆる拘束命令の問題は本件の場合存在しない。

かりに、被告人において、この指示命令がダイナマイト等の場合を含む命令であると考えたとしても、上司の命令に従うものであると誤信したことは、違法性阻却の問題でなく、責任の問題に属することである。

以上のとおり、本件の場合、上司の命令の介在は、被告人の本件行為の違法性を阻却するものではない。

弁護人らの主張は採用できない。

三、主張その三。

弁護人らは、「被告人は、本件行為を正当な職務行為と確信して行つたものであり、このように信ずるについて過失も認められず、相当の理由があるから、犯意を欠き、罪とならない」と主張する。

(一) 違法性に関する錯誤について。

弁護人らの本主張は、帰するところ、自己の行為が法律上許された行為ないしは義務づけられた行為と誤信し場合の問題として理解できる。いわゆる違法性に関する錯誤又は禁止の錯誤の問題に属するものということができる。

大審院以来の判例の原則的立場に従うならば、故意の要件は、犯罪構成要件に該当する具体的事実の認識があれば足り、その行為の違法性を認識することは必要でない。従つて、違法性の認識を欠いても、故意を阻却しないということになる。本件の場合についていえば、被告人において、爆発物取締罰則第五条に規定する構成要件に該当する事実の認識があつたことは、上記のところから極めて明らかであるから、たとえ、被告人が、警察官としての職務遂行のためにするのであれば許された行為ないしは義務づけられた行為と誤信したとしても、このことは、故意を阻却するものではないという結論にならざるを得ない。

ところが、弁護人らは、この判例の原則的立場を採らず、自己の行為が法律上許されたものと誤信し、しかも、その誤信について相当の理由がある場合には、故意が阻却されるとの見解に基いて、その主張を展開していることが明らかである。ここにおいて、この見解に立脚しての検討を進めることとする。

(二) 正当な職務行為と誤信したことについての相当の理由の有無。

被告人が、本件行為を正当な職務行為と誤信したことについて相当の理由があつたかどうかを検討する。

(1)  被告人は、検察官に対する第一回供述調書(昭和三二年八月三日附)中、その第三〇項において、村田克己から本件ダイナマイト等を受け取つて、これを後藤秀生に渡したときの気持についてと前置きして、

私は、後藤から頼まれたとき、取りに行く物がダイナマイト類であることは全然知らされず、又レポ文を見たときも、その物が何であるかも判らず、私が村田から品物を受け取つたときでも、まだそれがダイナマイト類であることを知らなかつたので、同人に尋ねてはじめてダイナマイト・雷管・導火線であることを知つた次第であります。私は、これを受取に行き後藤に届けたのは、小林部長から後藤らの武器活動の実態を究明せよと命ぜられたからであります。すなわち、佐藤こと村田の人物の確認・その武器の材料の種類・入手経路・保管場所等を調査するために受取りに行き、その品物を受け取つてから、これがダイナマイト類であることが判つたが、以前に後藤から手投弾を持つているということを聞いていたし、また、後藤が、このマイト類をどのように処置するか、その方途も掴む必要が最も重要なことであると考えていたので、その実態を究明調査するため、これを後藤に渡したものであつて、このことは、部長から命ぜられた任務を忠実に遂行しただけで、別段私のした行為は違法な行為だとは全然考えておりませんでしたし、またそれは、私が警察官として当然行わねばならない正当の職務行為であると考えていました。現在でもその考には変りありません。

後藤が入手したマイト類を何の用途に使う考であるのか全く判らなかつたので、その使用目的を明らかにせねばならないと考えていました。

私としては、部長に後藤へマイト類を渡したことを報告すれば、部長において適当な措置をとつてくれると思つていたのであります。

と述べ、つづく第三一項において、

その日後藤にマイトを渡したので、その旨早速部長に報告せねばならないと考えたのですが、同日は私用で松井方を休んでおり、その翌日又は翌々日にでも休んで大分に出て部長に報告に行くことは、松井にも察せられるおそれがあつたので、至急に適当な機会を見つけて部長に報告するつもりでおりました。

と述べていることが分る。そして、被告人のこの供述は、原審公判廷においても、また当審公判廷においても終始変つていないことが、前記証拠によつて明らかである。

(2) (イ) まず第一に、小林部長の指示命令は、前記のとおり、武器の材料が全く不明であつたから、これを運搬・交付することによつて、その内容・数量・関連人物・保管場所等を確認せよという趣旨の指示命令であつたに過ぎず、被告人の受け取るべき武器の材料が、本件の場合のように、ダイナマイト等である場合を予想し、これを前提としてなされた指示命令ではないにもかかわらず、被告人が、ダイナマイト等を運搬・交付することも右指示命令の中に含まれているものと誤解したことについて考えて見るに、警察官として、警察の本来の使命が公共の安全と秩序の維持にあることを念頭におくならば、何はさておき、犯罪の予防こそまず第一に心掛けなければならないことに属し、等しく公共の安全と秩序の維持のための警察官の情報収集活動といえども、無制限に認容されるものでなく、その目的の正当性が、手段として情報収集行為のすべてを合法化するものでなく、法の認容する手段方法の範囲内で行わなければならないものであり、爆発物取締罰則において明らかに禁止している行為を、たとえ、右任務の達成・職務の遂行という他の理由があつたにもせよ、目的が正当であつたにもせよ、自己自らの手によつてこれをふみにじることの許されないことに、当然思いを致さなければならなかつたものといわざるを得ない。ひつきよう、被告人は、目的と手段との関連性を誤解し、爆発物取締罰則違反行為の重大犯罪であることを看過したとの非難を免れ得ないものということができる。

(ロ) つぎに、被告人が村田克己から武器の材料を受け取つてはじめて、それがダイナマイト等であることを知つたのであるから、被告人としては、それまで予想もしていなかつた新しい重大な事態の発生に直面したのである。それにもかかわらず、上司に報告してその指示を仰ぐ措置に出ず、漫然ダイナマイト等を運搬・交付することも指示命令されているものと自分だけで判断して、後藤秀生に交付し、小林部長に報告してその指示を仰がなかつたことは、事態に対する正しい認識・評価を誤つたとの非難を免れ得ないものといわねばならない。被告人において、事態を正しく認識・評価したとするならば、『報告・連絡はすべて部長に直接せよ』という小林部長の指示命令をいたずらに墨守することなく、『後藤に渡した後は、できるだけすみやかに報告せよ』という同部長の指示命令にことさらに執着することなく、被告人が緊急の事態に直面した本件犯行後の六月一日において、竹田警察署の警察電話を使つて小林部長に報告し、その善処を要請した措置と趣旨において同様の、緊急の場合における臨機応変の措置をとつて小林部長に報告し、その指示に従つて行動することができたはずであるといわざるを得ないし、また、それが必ずしも不可能ではなかつたことは、当審における検証の結果によつても明らかなところであると認める。

(ハ) 第三に、被告人が、後藤にダイナマイトを渡したことを報告すれば、部長において適当な措置をとつてくれるものと思つたとしても、被告人は、警察官としての本来の任務に照らして、本件事態に直面して、事前に小林部長に報告して、その指示に従つて行動すべき義務があつたものであるから、やはり、右義務違反の非難を免れ得ないのである。さらに、被告人が本件ダイナマイト等を村田克己から受け取つた上、小林部長に報告もせず、その指示も受けず、そのまま菅生村に持ち帰つて後藤秀生らに交付するとしたならば、同所と大分市との間の交通通信の状況、被告人の置かれていた当時の立場環境等幾多の悪条件に制約されて、その結果として、必然的に上司への報告も、本件におけるように遅延するに至ることは、被告人として、本件ダイナマイト等を受領した当時において、すでに十分予測できたことでもあり、被告人の認めるところでもあるのである。

(3)  なるほど、被告人が、家族と離れ、一介の下働きに身をやつし、幾多の困難に打ちかち、艱難辛苦を重ね、自己自身の身の危険を冒して課せられた任務の遂行に一意邁進し、ついに武器の材料の何であるかの現認に成功するまでの間における労苦と功績に対しては、これを多とするにやぶさかではないし、また、被告人が、日共党員らの間に潜入した後においても、自己の身分の露見という危険に絶えずさらされていたこと――もし、それが現実となつたならば、それまでの努力はすべて水泡に帰するばかりでなく、どんな事態が発生するかも知れないという不安と恐怖をひそかに感じていたであろうことは想像に余りあるところである――及びこうした危険をもとより覚悟の上、菅生村における日共の軍事活動の把握、武器収集の実態究明という警備警察上の緊急重大課題を双肩にになつて、きん然任務にてい身した、被告人の職務に対する熱意と意欲の旺盛さに対しては、理解と同情を惜しむものでもない。

しかし、被告人の当時置かれた環境に制約されたためとはいえ、職務に忠実の余り、或は自己に課せられた任務・使命に魅せられ、これを絶対視したためか、或はいま一歩目標に近づこうとあせつたためか、いずれにせよ爆発物使用に関する犯罪の重大性と事態の重大性とに対する正しい認識・評価を欠いたことが、目的さえ正しければ本件行為もまた合法視されるものと誤解させ、前記任務の遂行のためであれば本件行為も警察官としての職務であると思い誤らせて、本件行為に出るに至らしめたものであると当裁判所は判断する。

以上、要するに、被告人の主観的心情についての情状酌量の余地の存在することは認められても、被告人が自己の行為が法律上許されたものと誤信したことについての相当の理由があるものとは、未だ認め得ないとの結論に到達せざるを得ない。

第四、法律の適用

被告人の行為は、爆発物取締罰則第五条に該当するので、定められた刑期の範囲内で処断することになるわけであるが、鶴田弁護人は、本件は罰則第一一条により刑を免除せらるべき場合に該当すると主張するので、以下、この点について検討する。

罰則第一一条適用の有無について。

一、被告人のなした報告は、同第一一条にいう自首に当るか。

(1)  被告人のなした報告。

被告人は、昭和二七年六月一日正午頃、竹田警察署から警察電話をもつて、国警大分県本部警備部長小林末喜に対して、『本件ダイナマイト・雷管・導火線を五月二九日村田克己から受け取つて、これを菅生村の松井波津生方に持ち帰り、同日午後九時頃これを後藤秀生に交付した』旨報告してその指示を仰いでいること及びそれが、捜査官憲に全く発覚しない前になされたものであることは、いずれも、前記証拠により明らかに認められる。

ところが、この報告の動機を考えてみると、

その前日の五月三一日夜一〇時頃菅生村小学校校舎の土間で後藤秀生らと会合した際、後藤秀生が『今晩駐在所に実力行使を加えようではないか』と切り出し、傍には新聞紙に包んだびん様のものを置いていたので、同人が火えんびんを駐在所に投げ込む意図であることを知つた。そこで、被告人は、同夜の実力行使だけは阻止し、延期させることに成功したが、後藤は、『それでは今夜はやめて明日やろう。一二時頃中学校の横に来るように』と指示した。被告人は、後藤が翌日(六月一日に当る。)行おうという実力行使を自己の力で阻止することは、とうていできないと思つたので、至急に小林部長に報告して適当な措置を講じてもらわなければならないと考えて、前夜の小学校における会合の状況を報告して同部長の善処を要請する一環として、ダイナマイト等を村田克己の処から持ち帰つた以後の状況を報告したものであることも、右の証拠から明らかなところである。

右により明らかなとおり、被告人の報告には、自己の行為が犯罪行為であることの認識は全くなかつたものであり、むしろ、自己の職務を遂行する上に必要な行為であると信じてなされたものである。

ところで、本件の場合、被告人は、本件犯罪を犯し、未だ捜査官憲に発覚しない前に、これに対して自発的に自己の行為を申告して、その指示を仰いだわけではあるが、それが犯罪であるとの認識はなかつたものであるといわねばならない。

(2)  およそ、自首とは、犯人が犯罪行為に該当する客観的事実を自ら進んで自発的に捜査官憲に申告して、その処分に委ねることをいい、犯人がその行為を犯罪行為であると認識・承認して官に申告したという主観的要件は、自首の要件ではないと解するのが相当である。思うに、自首が、刑の減免事由とされる(刑法総則上、刑の任意的減軽事由とされる外、各則又は特別法において、刑の減軽又は免除事由とされる。)合理的根拠の一つは、犯罪の検挙を容易にし、或は事を未然に防ごうという政策的理由にあるものと解され、その合理的根拠の他の一つである犯人の改悛という点は、絶対必須の要件ではないと解し得る以上、犯人が、自己の行為を犯罪でないと確信している場合と、そうでない場合とを区別して考えることは妥当でないというべきである。このことは、いわゆる確信犯人の場合を考えれば、容易にその妥当性がうなづかれるであろう。要するに、犯人が、犯罪行為に該当する客観的事実を、自ら進んで自発的に捜査官憲に申告して、その処分に委ねている以上、犯人が、その行為を犯罪行為であると認識・承認して官に申告したという主観的要件の有無にかかわらず、等しく、法律にいう自首に当るものと解して一向に差支えないものと認める。

本件の場合、被告人の前記報告は、自己の行為が犯罪行為であるとの認識の下になされたものではないが、犯罪行為に該当する客観的事実を自発的に捜査官憲に申告して、その処分に委ねるという要件を具備している以上、右説示によつて明らかなとおり、法律にいう自首に該当するものということができる。

二、本件ダイナマイト等によつて危害が生じたかどうかの検討。

(1)  まず、被告人が村田克己から受け取つたダイナマイト等の数量について、村田克己の供述の検討からはじめることとする。

村田克己の検察官に対する各供述調書謄本によれば、村田克己は、当初(昭和二七年四月三〇日現在)の受入数量と現在高とがそれぞれ判明しているところから、不足(横流し)数量を算数上割り出し、この全体の不足数量を基準として、足立亀寿男に何本、衛藤有馬と黒田こと後藤秀生に何本、被告人に何本というように、横流しした本数を右三回に振り割つて供述していることがうかがわれるが、これらの横流し数量についての村田の供述は、いずれもあいまいであり、一応のつじつまを合わせるためになされた供述に過ぎないことが明らかであり、村田の供述には、その他の重要な点において、幾多のうそが認められること等から考えて、村田の供述する数量(被告人にダイナマイト約一八本、雷管約一五本及び導火線約一〇米渡したという。)は信用することができないものと認める。

(2)  押収されたダイナマイト等の数量。

司法警察員作成の差押調書謄本(検第一五号)によると、昭和二七年六月二日の早朝、菅忠愛方で発見差押えられたダイナマイト等は、二ケ所に隠されていたことが分る。

その中の一つは、同家二階六畳の間の柳行李の中(古かやの下)にあつた釘づけした木箱の中のもの――ダイナマイト一〇本、雷管一八本(内一本は導火線約五糎付)及び導火線一本(一巻長さ約五米)――である。しかし、これらのものは、菅忠愛の検察官に対する各供述調書謄本によれば、本件のダイナマイト等とは全く無関係であることが明瞭である。

その中の他の一つは、同室のかいこ棚上に新聞紙包の中に新聞紙で封を施し、未だ糊の充分乾いていない包の中のもの――ダイナマイト一四本(包装紙に包んだもの)と導火線一本(一巻九米半位)――と同家二階七畳物置部屋天井裏に空かんの中に新聞紙に包んであつた雷管一〇本であることが明らかである。これらのものは、菅忠愛の右各供述調書謄本によれば、同年六月一日菅忠愛が、自宅で後藤から預つたものであり、右雷管は、バラで受け取つたものであることがうかがわれる。結局、被告人が五月二九日頃後藤秀生に交付し、後藤秀生がさらに菅忠愛に預けたものの中、押収されたものは、右に記載の、ダイナマイト一四本、雷管一〇本及び導火線一本(一巻約九米半)であることが、一件記録上明らかである。

(3)  被告人の供述するダイナマイト等の数量と押収されたダイナマイト等の数量との比較検討。

被告人は、終始一貫して、授受した本件ダイナマイト等の数量は、ダイナマイト約一四・五本、雷管約一二・三本及び導火線約一〇米位と供述して来ていることは、前記証拠により明らかなところである。従つて、まず、ダイナマイトの本数について考えれば、被告人の供述によると、約一四・五本というのであり、右押収された数量からすれば一四本であり、被告人が後藤秀生に交付した本数が、果して一四本であつたのか、それとも一五本であつたのかが問題となる。一件記録を精査するとき、それは一四本であつたと認めるのが相当である。一五本であつたと認めるに足る証拠は全く存在しない。つぎに、雷管の本数についても、被告人の供述するところは、約一二・三本であり、右押収されたところの数量は一〇本であつて、その間にくい違いが存在するが、右と全く同様の理由によつて、一〇本という数量が正しいものと認める。なお、導火線については、両者間のくい違いはないものと認め得る。

(4)  結論。

そうして見ると、被告人が後藤秀生に交付したダイナマイト等は、その全部が発見押収されていることとなり、後藤秀生或は被告人やその他の者によつて使用されていないことが明白であるから、罰則第一一条にいう「未だその事を行はざる前において」「よつて危害をなすに至らざるとき」という要件を具備することもちろんである。

三、同第一一条後段の要件を具備する。

以上のとおり、被告人が後藤秀生に交付した本件ダイナマイト等が、同人ら或は被告人によつて第一条に記載の犯罪に使用せられず、従つてまた、危害を生ぜしめていない時期において、被告人は、犯罪行為に該当する客観的事実を自発的に捜査官憲に申告して、その処分に委ねた者であるから、罰則第一一条後段の要件を具備するものということができる。従つて、同法条を適用して、被告人に対する刑を免除する。

以上の理由により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井亮 裁判官 中村荘十郎 裁判官 横地正義)

検察官の控訴趣意

大分地方裁判所は昭和三十三年八月四日被告人戸高公徳に対する爆発物取締罰則違反被告事件に対し被告人の所為についてはほぼ公訴事実通りを認定し、その所為は爆発物取締罰則第五条に該当し正当なる職務行為の範囲を逸脱した違法行為であり且つ犯意あるものと為し乍ら被告人に対し適法行為を期待することが不可能であつたものとして、刑法第三十八条等の法意に準じ、その責任が阻却され罪とならないものと認めて無罪の言渡をしたものである。然し乍ら原判決は次に述べる事由に依り法令の解釈適用に誤りがあつてその誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであり到底破棄を免れないものと信ずる。

第一点凡そ法典主義の下に成文法を基調としているわが刑罰法秩序の下にあつては一定の行為が犯罪構成要件に該当し且つ違法性を具備する限りその行為者の刑事責任を否定するには刑罰法令上の明確な根拠を必要とするものである。しかるに期待可能性の理論はかかる法令上の明確な根拠なきいわゆる超法規的理論でありその法理的構成さえなお未確立な現状であつて、責任要素を具備する犯罪構成事実あるに拘らず漫然期待可能性を欠如することを理由としてその刑事責任の存在を否定するが如きは刑法の根本原理上許されざるところである。のみならず従来わが大審院、最高裁判所が判例として是認するところのものではないのであり、今日迄の判例を通観するも故意の認定については終始一貫して所謂認識主義の立場に立つているのであつて、苟も罪となるべき事実の認識乃至認容が存する限り期待可能性がないことの故を以て故意なきもの或は責任性を欠くものと為すを得ない。最近の最高裁判所の判例に徴するに、昭和三十一年十二月十一日第三小法廷判決(集一〇巻一二号一六〇五頁)は「期待可能性の不存在を理由として刑事責任を否定する理論は、刑法上の明文に基くものではなく、いわゆる超法規的責任阻却事由と解すべきものである。従つては、原判決がその法文上の根拠を示すことなく、その根拠を条理に求めたことは、その理論の当否は別としても云々」としているが右判決は期待可能性理論の採用に否定的態度を示したものと解せられ(ジユリストNo161昭和三十三年九月一日号下村康正)又昭和三十三年七月十日最高裁第一小法廷判決は判例違反の主張引用の諸判例に対して「引用の諸判例はいずれも、その挙示の証拠により、犯罪事実を認定するに当り、情状の斟酌、法令の解釈その他に関し必要な説示、判断を示したに止まり判文中期待可能性の文字を使用したとしてもいまだ期待可能性の理論を肯定又は否定する判例を示したものと認められない」として判例違反の主張を排斥することに依り直接期待可能性の問題に触れるのを避け(前記論文参照)慎重な態度を採つている状況である。惟うに、期待可能性の有無は情状としての刑の量定等に際し重要な意義役割を有するも、之を以てたやすく刑事責任を左右せんとなすが如きは結局法令の解釈適用を誤り引いては現行刑罰法令の厳正な適用を不能ならしめ法の所期する目的は到底達成され難い。原判決が被告人の所為を犯罪構成要件に該当し違法且つ犯意あるものと認定した以上当然有罪の判決を為すべきにも拘らず漫然期待可能性なきものとして刑法第三十八条等の法意に準じ責任が阻却され罪とならないとして無罪の言渡を為したのは法令の解釈適用を誤つたものでありその誤りが判決に影響を及ぼすことは自ら明らかである。

第二点仮りに、期待可能性理論の適用を認容するとしても、本件においては被告人に適法行為に出ることを期待することが不可能であつたとは到底認め得ないものと思料する。言う迄も無く期待可能性理論はわが刑法理論上未だ完全に消化せられていない未熟のものであつて、その体系的地位自体及び判断の基準等についても論争の存するところである。そこで本件被告人の所為を判断する前提として期待可能性論に関係ある判例学説を考察することとする。

(一) 期待可能性なしと認めた判例 (1) 昭和二十三年十月十六日東京高裁(集二巻一号追録一八頁)(2) 昭和二十四年三月十七日福岡高裁(最高裁刑資四八号二二五頁)(3) 昭和二十五年五月三十日広島高裁岡山支部(要旨集五巻四号二三七頁)(4) 昭和二十五年十月二十八日東京高裁(特報一三号二〇頁)(5) 昭和二十六年二月九日名古屋高裁(集四巻二号一一四頁)(6) 昭和二十六年四月三日東京高裁(裁報八二号三頁)(7) 昭和二十六年十二月十四日福岡高裁宮崎支部(特一九号一六八頁)(8) 食糧営団の公団切換に際しての退職金支給の勅令第三百十一号違反事件につき(昭和二四、六、二〇名古屋高裁、昭二六、六、二九広島高裁松江支部、昭和二六、五、二二高松高裁等)(9) 昭和二十三年十月十四日甲府地裁(裁判所時報二三号五頁)等がある。而して之等の事案は何れも故意犯に係り、その中七例迄は経済統制違反事件或は連合国占領に関係ある事案であり、僅か二例即ち(2) がストライキ中の運炭車を停止せしめた事案(7) が海上に於て密貿易を幇助するに至つた事案である。之等一連の判例の動向に対して牧野英一博士は(2) については、責任能力の観点「一時的に心神状態が著しく均衡を失したもの」(7) について緊急避難の観点から論ずべきものとされ(警察研究第二十四巻第六号昭和二十八年六月十日発行「期待可能性と最近の判例」)更に「期待可能性はドイツに於ては主として過失犯に関する理論であるが、我が判例に於ては故意犯の問題として独逸より勇敢に適用しておる、然もそれはドイツ刑法における緊急状態の規定が客観主義のものとせられる為狭きに過ぎる故超法規的緊急状態或は超法規的責任阻却原因を問題とするのであり、わが判例としては現に緊急避難を超えてこの理論を採用しているのがあり、この理論の適用をしかく広く考えることについて疑を抱くのである」とされ尚フランス刑法の強制に関する規定、従つて犯罪の成立に決意の自由を要する故にフランスでは期待可能性理論の発達する余地なき点を示唆されているのであつて(警察研究第二十四巻第七号、昭和二十八年七月十日発行、「期待可能性論の意義及び価値」)原判決の如く然かく安易に期待可能性なしと判断すべきではない。

(二) 故意犯と過失犯 牧野博士は前記論文中でフランクの設例(辻馬車の駆者の例に対比して雇主が下男に隣家の窓に石を投げなければ直ちに暇を出すぞと脅かした場合)を引用して「抽象的には理論として過失と故意とに共通であるべきであるが具体的適用上社会通念によるニユアンスという事が問題であり、責任阻却の程度につき過失に広く故意に狭くという差等をつける云々」と述べられている。此の点について滝川幸辰博士は「認識する場合(意欲する場合はもちろんの事)は、認識しない場合よりも行為を行う動機に対して行為を行うことを思い止まらせようとする反対動機が強く働く反対動機の強いときは行為を行わないこと、即ち、他の態度をとることの期待可能性も大きい、期待可能性と故意、過失とは理論上は別のものであるが認識のあるなし認識の大小認識程度の強弱を通じて直接な関係にある。」(法学論叢第五十九巻昭和二十八年第一号「期待可能性論の回顧」)と説かれ最近の同種の学説として下村康正助教授は「確定的に違法性の意識があるときは、殆ど期待可能性の不存在は論ぜられる余地なく、例えば違法性を意識しないことにつき存する過失が大であれば従つて期待可能性は全面的に存在し次に過失が中であり更に小となつて行けば逐次期待可能性も中、小と減少して行くと論ずることができるわけである」(ジユリストNo161昭和三十三年九月一日号「失業保険法違反事件と期待可能性の理論」)と説いている。右諸論は洵に至当であつて、本件被告人の所為を評価するに当つても、過失の程度(大小、強弱)違法性認識の程度(大小、強弱)が検討吟味されなければならないと思料する。

(三) 期待可能性ありと認めた判例 (1) 昭和二十年七月二十四日大審院(「所謂ゾルゲ事件」)(2) 昭和八年十一月二十一日大審院(集一二巻二二号二〇七二頁)(3) 昭和二十六年十一月二十九日最高裁第一小法廷(要旨集五巻一二号三九二頁)(4) 昭和二十九年七月十六日最高裁第二小法廷(「旧麻薬事件」集八巻七号一一五一頁)(5) 昭和二十五年九月十三日名古屋高裁(特報一三号八九頁)(6) 昭和二十六年五月十九日福岡高裁(集四巻七号六七四頁)(7) 昭和二十六年四月七日名古屋高裁(集四巻三六四頁)(8) 昭和二十六年九月十三日東京高裁(特報二四号四四頁)(9) 昭和二十四年八月八日福岡高裁(特報五号一九頁)(10)昭和二十五年七月十九日東京高裁(要旨集五巻一二号八五五頁)(11)同年七月二十八日札幌高裁函館支部(特報一二号一八三頁)(12)同年十月十四日福岡高裁(特報一三号一六五頁)(13)昭和二十六年六月十四日名古屋高裁(集四巻七号七〇四頁)(14)昭和二十六年十月十五日札幌高裁函館支部(集四巻一一号一三八一頁)等がある。以下之等を検討するに、

先ず(1) は「仮りに当時の事情上何人をして被告人の地位に立たしむるも被告人の執りたる措置以外の措置に出ずべきことを期待すること不可能なりとするも、被告人の当時の地位責任と閲歴識見とは一般人の水準に比し遙に特殊且つ高度の戒慎を要求せられて然るべき事実に鑑み、単に一般的なる期待を以て臨むべき事理にあらざるものとす」としているが、この判例に対しては「期待可能性の規準として一般平均人をもつて来ることに対して異論を唱えているものであることが理解されるのである。即ちそれは平均人に期待できぬ事も法はなお期待することがあるという重大な問題を提出しているのである……地位責任と閲歴と言う様な主観客観の交互的浸透関係において初めて期待可能性の有無が決せられるものである事を示そうとしたものである……平均人説への一種の批判を含んでいる」(刑法雑誌第三巻三号昭和二十八年三月三十一日発行「終戦後の判例と期待可能性の理論」佐伯千仭)と論評されているが判決の文理は寔に右論述の通りである。次ぎに(2) (3) は期待可能性の主張を以て「犯罪の主観的責任に関係のない単なる犯罪発生原因上存する憫諒すべき客観的な情状に過ぎないもの」とする点に於て注視すべきものがある。更に(4) 乃至(8) は夫々原審裁判所が期待可能性なしと認めて無罪を言渡した事案につき上告審、控訴審に於て期待可能性ありと認め或はその他の理由で破棄したものであり、結局期待可能性理論の適用が実践的に複雑微妙であり特に慎重厳正に判断されねばならないと言う教訓を含み(9) 乃至(14)と共に期待可能性有無判断の基準となるべき事項を含んでいる点に於て括目すべきであろう。即ち(4) の最高裁判例は、麻薬取扱者の不正麻薬の取扱記帳義務について「自ら申請して麻薬取扱者たる免許を受けたものは法規の命ずる監査、制限義務に服することを受諾しているものと言うべきで期待不可能と言えない」と言う趣旨であり、(5) は不法密入国事犯につき「南朝鮮に脱出後生命の危険が迫つていた訳でなく、叔父も居り直ちに異境の朝鮮において流浪生活の脅威に直面したとも認められないから期待可能性なしと論じ得ない」とあり、(6) は経営不振による労賃不払事犯につき「被告人が経営の規模、使用人数等の適否につき検討し如何なる手段方法を講じたかにつき(他人からの金融策等)審理不尽である」と為し、(7) も経営不振の労賃不払事犯につき「被告会社の経営状況、経理事情のみに着目して総括的に十把一束に判断すべきでなく、犯罪個数を減少せしめる為低賃銀者に優先又は高率支払を為したか否か、遅滞月別によつて支払を考慮したか否か等検討すべきである」と言う趣旨であり、(8) は農業協同組合職員が組合保管の政府管理米補填の為闇米を買受けた事犯につき「他に適法行為が期待される可能性がある場合即ち他に取るべき方法がある場合には先ず之によるべく直ちに本件行為に出でることは許されないとして、県知事の許可を受けて合法的に取引すること、所管事務局に具申善処する事、買受けでなく借り受けでも足りた事、組合員全体の損害として分担する事等」を挙げて期待可能性ありとして居り、(9) は他人の保管米の費消横領につき(10)(11)は闇資材購入につき各期待可能性ありとし、(12)は供出割当の米不供出事犯につき「供出数量割合の是正方申請、若くは還元米制度の利用による食糧、種子の確保方途が残されており」期待可能性なしとは言えぬとし(13)は「闇取引による所得の申告は闇取引の自白を強制せられるものと限らない」とし最後の(14)は「船員は法令の禁止する事項に違反する船長の指揮命令に服従する義務はない」として、期待可能性なしとすることができず責任を免れない、と判示している。

(四) 期待可能性有無判断の標準 期待可能性の有無を判断する基準に関しては、(1) 行為者標準説として個人の事情を重視する立場、(2) 平均人標準説として平均人という客観的標準に立つもの、(3) 国家標準説として適法行為を期待する主体(法秩序)から観察すべきものとする立場があり、滝川博士は「期待可能性の理論」(有斐閣刑事法講座第二巻刑法(II))に於て「平均人が通説であり、通常人(責任能力者)を行為に追い立てる動機の迫つて来る力(行為動機)がその行為をくいとめる力(反対動機)を打負かすような動機過程で期待可能性は否定される。標準は行為者にあるのではなく行為者をかような動機過程に追い込むところの類型的事情にある……行為者を行為に引き入れなければやまないという類型的事情が期待可能性の標準である。……期待可能性を否定する附随事情は通常人の健全なる知性から直感することができる云々」と論ぜられ、佐伯博士は前記論文に於て、前記の如く大審院判決を引用して法は平均人に期待できぬ事もなお期待することがあることを強調し「平均人論は言わば問題を期待されるものの側からだけ眺めて来たがそれは更に期待する主体の側からの観察(法秩序)によつて補正されねばならぬ。概して言えば国家の期待可能性を決する方法は決して劃一的でなく自己の存立発展または機能を直接侵害脅威することなき一般犯罪に対しては一応平均人の能力又は社会観念による限界を認容するが、反対に自己の存立発展または機能を直接侵害脅威せんとする犯罪に対しては仮借なき厳格性を示すとみる事ができる。期待可能性の有無について裁判所の判断を窮極において規定するものは、このような意味における現実の国家機構なのであつて、問題は結局現存秩序の社会科学的実体把握に連つている。」と述べられている。尚超法規の点で同じ範疇にある超法規的違法阻却事由については法益較量の原則、目的説の原則、補充の原則、情況の相当性(緊急性)の諸観点から之を綜合的に判断すべき事が言われており、(刑事法学の基本問題「超法規的違法阻却事由」八木胖博士)期待可能性の有無を判断する際の考え方、方法論として参照さるべきであろう。叙上((一)乃至(四))呶々論及したが、これを要するに期待可能性判定の標準は(1) 被告人の当時の置かれた地位責任、閲歴識見(2) 違法性認識の程度(大小、深浅)認識なしとすれば過失の程度(大小、深浅)(3) 法の期待するもの(4) 類型的諸事情(5) 健全なる通常人の判断等の諸点から綜合的に判断すべきであり、原審検察官が「当該取締法の目的精神に照らし当該具体的立場の類型事情を参酌し健全なる通常人を基準に判断すべきもの」と主張した論告の趣旨も亦これに外ならないのである。

(五) 原審判決の期待可能性なしとする事由並びに判断 原判決はその第二項の四に於て被告人の本件行為当時の諸般の事情として所謂類型的事情に該当すると思われるもの、次の六点を挙示している。即ち(1) 被告人が菅生村に潜入の前後及び本件行為当時における日本共産党の軍事活動は全国的に活発となり、熾烈を極め、緊迫した情勢にあつたこと。(2) 本件の菅生村方面においても治安上警戒を要する事案が頻発していたのみか、日共党員による武器収集が行われているとの情報があつたのに、その実態が不明で、治安上情勢把握は緊急を要する事態にあつたこと。(3) 以上の情況にも拘らず情勢の探究把握はその地理的条件も加つて極めて困難であつたところから、被告人は上司の特命により警察官たる身分を秘して菅生村に潜入し、ついに同方面の精鋭分子たる後藤秀生に接近することに成功し、彼等の収集せんとしている武器の種類、数量、関係人物、その保管場所を明らかにしようとしたものであること。(4) 後藤秀生から武器の材料を取つて来てくれと頼まれるや上司の指示を受けてこれを受領に赴いたものであること。(5) 武器の材料がダイナマイト等の爆発物であつたけれども、これを後藤秀生に交付しないことは、事後における同人等との接触を断絶することになり被告人に与えられた任務を遂行するに支障となると考えるのも一応無理のないことであつたこと。(6) ダイナマイト等を後藤秀生に手交後は被告人として可能な範囲に於て、これを監視し、且つ上司にその報告をして適宜な措置を講ずべく努力していること。而して之を「彼是綜合して考量すると、当時の緊迫した情勢下において、警備係の巡査部長たる一警察官として前述のごとき特命を上司から与えられ、その任務についたのであるから、その職責を誠実に果さんとする者にとつて、本件がダイナマイト等を村田より受領した後これを運搬保管して後藤秀生に手交しないことを被告人に期待することは、たとえ、その行為により大なる法益を害するものであつても、著しく苛酷に失するものと認めざるを得ない。若し健全なる通常人である他の警察官を被告人と同一の地位状況下においたとしても、本件のごとき違法行為に出でず、他に適法行為をなすことを期待することは不可能と認めるのが相当である。而して被告人が上司小林部長から受けた指示は、武器の材料なるものがダイナマイト等であることを予想しないでなされたものであるからというて、被告人が村田克己から受取つた物件がダイナマイト等であつたとしても、これを後藤秀生に渡すことが当然指示されているものと考えたことはその使命からして無理からぬところであり、これを直ちに後藤秀生に交付しないで小林部長に報告しなかつたこと、運搬して同人に交付した後に直ちに報告して事後の指示を受けなかつたことについては被告人の置かれた当時の情況下においては著しく難きを強いる嫌がありダイナマイト等を手交後の監視について被告人の採つた措置が適切であつたかどうかの点も、未だ被告人の責任を阻却する事由の存在を否定する根拠とするに足りない。」と謂うのである。

(六) 本件期待可能性問題に対する検討並びに所見 そこで、第(四)項記述の論点に立脚して、右第(五)項記載の原審判決に挙示する事由並びにその判断を繞り、本件の期待可能性問題を吟味検討することとする。

(1)  法が期待するものについて 原判決の挙示する事由(前項記載六個の事由)中(1) 乃至(4) 迄の当時の情勢被告人の立場等については異論で無いところである。然し乍ら原判決は被告人が警備係の巡査部長たる一警察官として上司から与えられた特殊任務を遂行せんとする被告人の主観的立場のみから論じ法(国家、国民)が斯かる場合現職の巡査部長たる警察官に期待するところのものを軽視している嫌がある。即ち前記事由(5) において「武器の材料がダイナマイト等の爆発物であつたけれども、これを後藤秀生に交付しないことは、事後における同人等との接触を断絶することになり被告人に与えられた任務を遂行するに支障となると考えるのも一応無理のないことであつた」と言い次いでこれらの綜合判断の過程において「手交しないことを被告人に期待することは、たとえ、その行為により大なる法益を害するものであつても、著しく苛酷に失するものと認めざるを得ない」と述べ「本件の如き違法行為に出でず、他に適法行為をなすことを期待することは不可能と認めるのが相当である。」と結んでいる。案ずるに原判決の「被告人に与えられた任務を遂行するに支障となると考えるのも一応無理のないことであつた」と言う点は情状認定の資料としては格別、これを以て、たやすく適法行為を期待することが不可能、若しくは著しく苛酷に失すると観るのは失当である。即ち原判決においては法が現職の巡査部長に斯かる場合期待するところのものが正当に考慮されていない。被告人が本件菅生村に潜入したのは現職の巡査部長としてであつて只だ表面上その身分を秘していたに過ぎない。刑法第三十七条第二項は警察官等業務上一定の義務あるものは一般国民が緊急避難を為し得る場合も之を除外されており過失犯に於ても一定の身分あるものに対して重く臨んでおる。勿論、本件と事情は異るが、兎に角理論上の問題として法が一定の身分あるものに対して一般国民と異る期待を以て臨んでいる事は明らかであり、前掲第(三)項(1) の大審院判例も又その義を炳かにしている。殊に本件期待可能性の有無を判断するについては警察法第二条、警察官職務執行法(特にその第四条、第五条)等が考慮されねばならない。加之本件は爆発物取締罰則違反事件であるからその立法の目的精神に従つて法律的評価が勘案されなければならない。爆発物を不法に使用することはその危険性極めて大であり、その損害は甚大であつて、社会の秩序を乱す事態を惹起するものである。殊に爆発物件を国家権力機関に対し不法に使用するが如きは、当該機関の機能を直接侵害するのみならず国家社会の治安維持に対し重大な脅威を与うるものであり特に同罰則の法意に照らし合理的且つ厳正に評価されねばならない。

(2)  違法性の認識(又は認識せざるについての過失)について 被告人は本件所為を正当なる職務行為であると確信して行つたものであり違法性の認識がなかつたと終始一貫して供述しているがこの点について原判決はその第二項の三に於て「これを認められないではない」とし更に「被告人においては本件ダイナマイト等を後藤秀生に一度交付する以上、被告人並びに上司の努力にも拘らず、予期しない事態を招来し、爆発物の不法使用を惹起するかも知れないことは当然予想すべきであるのに、その職務を逸脱して該爆発物を交付したものであるからこれを正当な職務行為と信じたことについては過失があつたことが明らかであり、違法の認識又は意識を全く期待し得なかつたものとは認められないので云々」と認定しているのである。換言すれば違法性の認識はなかつたが、認識しないについては過失があつたと言うのである、過失が無かつたとしたら当然違法性の認識も生じたであろうと言うのである。即ち違法性の認識について期待可能性があると言う訳である。之を更に一歩推し進めれば第(二)項論述の如く、違法性の認識があればその違法行為を躊躇する反対動機が多かれ少かれ働くのであるから健全なる通常人であればその違法行為に出ずに適法行為に出るところの所謂期待可能性があるのである。従つて違法性の認識なきにつき過失がある即ち違法性認識についての期待可能性がある場合であれば、とりも直さず健全なる通常人は違法性を認識し而してその違法行為に出ずに適法行為に出るところの所謂期待可能性があることとなり、此の点よりすれば結論に於て期待可能性なしとした原判決の理由にくいちがいが存するか論理に矛盾が存することとなる。

のみならず、右違法の認識が無い点についての過失が大なれば大なる程いわゆる期待可能性も大となる訳であるので、更に過失の有無を検討する。

本件当時後藤秀生等が治安を妨げ又は人の身体財産を害する目的に使用する意図の下に本件ダイナマイト等の入手を企図していたものであることは被告人において充分これを知悉していたことが原判決第二項一の(3) 号の認定で明らかである。然かも村田克己より武器の材料なるものを受領した際それ等がダイナマイト等の爆発物であり且つその入手経路及び之に関連する人物、入手目的等判明したのである。(検第九号被告人に対する検事調書)即ち爆発物取締罰則違反の事態が現に発生したのであるからたとえ被告人に情報収集の任務があつたとしても警察本来の使命に立還り犯罪の予防、犯人の検挙への配慮、上司への報告等の措置を為すべきであり、しかも公知の事実に属する地理的条件を併せ考えれば、本件囈ュ物受領の大分郡判田村大字下判田と国警大分県本部の所在する大分市とは僅々約十四粁の指呼の間にあり国鉄豊肥線、バス、電話、駐在所警察電話等もあり交通連絡は極めて簡易に出来得る状況下にあつたにもかかわらず速かに前記検挙報告等の措置をなさなかつた点につき過失があるものと申さねばならない。更に爆発物を後藤秀生に手交後の措置も適切でない。尤も手交後の措置それ自体を切離してみれば犯罪後の事情(事後行為)であつて、犯罪の成否とは関係がない訳であるが、問題は斯かる手交に先だち被告人自身は当時の自己の環境立場を知悉しているのであるから、本件程度の所謂監視(手交後の爆発物の危険防止に対する)しか出来ないものであること或は上司への報告の遅延(手交後の報告)についても当然予知できていたと認められるにも拘らず敢えて交付した点にも過失がある。尤も交付後被告人が現にとつた監視、報告について原判決は前叙(第(五)項)の如く諸般の事情中の(6) として「手交後被告人として可能な範囲に於てこれを監視し、且つ上司にその報告をして適宜な措置を講ずべく努力している」と認定し更に末尾に於て「手交した後直ちに報告して事後の指示を受けなかつたことについては被告人の置かれた当時の情況下においては著しく難きを強いる嫌があり、ダイナマイト等を手交後の監視について被告人の採つた措置が適切であつたかどうかの点も、未だ叙上被告人の責任を阻却する事由の存在を否定する根拠とするに足りない」と判示している。然し乍ら被告人が可能な範囲において速に報告し監視した事跡は何等みるべきものが無いのであつて、この点原判決は事実の誤認に基くものか、或は行為の評価を誤つていると思料される。被告人は第五回公判(記録六七九丁以下)に於て検察官の尋問に対し「二十九日本件爆発物を後藤秀生に交付した際同人等の様子を観察し翌三十日も夜九時頃菅忠愛方で後藤等と会談しその間約三十分位監視し、三十一日の夜は小学校に呼び出されて一応実力行動を阻止した」旨述べ又被告人の主観に於ては「後藤に依頼され同人の行動日程も判つていたし、本件爆発物を他に移動すれば自分に頼むであろうし、菅方と松井製材所は近いので判ると思つていた」と言うのである。これでみると被告人が全然監視をしなかつたのではない如く見えるも実質的には何等之を為していない事を物語つている。即ち自ら尾行張込等をなし又之を為さしめるべく上司、駐在所、管轄竹田地区警察署等に連絡した事跡は全く存せず夜間、或は昼間製材所で仕事中の監視は全く野放し状態であつたと認むべく、かかる状況下において所謂菅生事件なる菅生村巡査駐在所爆破事件が発生したのである。尚上司への報告が本件爆発物交付後約六十二時間(三日間)も遅れた事由についても被告人は「小林警備部長に会つて直接報告するように命ぜられていたし、松井に身分秘匿の為屡々家をあける事もできず又郵便局電話や駐在所の警察電話では機密保持の必要からかけられないので適当な機会がなかつた」と言うのである。この点前述監視方の連絡についても同様であるが、これらは為にする弁解であつて、真に緊急を要するものとして速に報告連絡しようと言う差迫つた気持があつたとすれば臨機の方法を以て容易にこれをなし得たものと認められるのであるから此の点に於ても過失の存在を認めざるを得ない次第である。以上要するに被告人の本件行為については、累積した数多の過失が認められるのみならず又それ等は必ずしも軽微とは言い難いものであつて到底適法行為に出ずる期待可能性なしと為すを得ないものと言わねばならない。

以上論述するところを彼此綜合検討すれば被告人が当時警備係の現職巡査部長として、情報収集の任務を有していたとは言え、全国的に日本共産党の武器活動が活溌であり、その尖鋭分子たる後藤秀生等が現に爆発物を不法に入手せんとするに当りその情を知り乍ら上司に対する急速な報告、連絡又は検挙への配慮をなさず自己のみの判断を以て軽々に後藤の依頼に応じてダイナマイト等の爆発物を受取り、之を具体的危険発生の虞ある右後藤に交付し乍ら尚且つ上司への報告を遅らし、該爆発物の処分、移動等につき監視の努力を殆ど為していない本件被告人の所為に対し健全なる現職巡査部長として他に適法行為の期待可能性なしとは到底解し得ないものと信ずる。仍つて原判決には当然有罪判決の言渡しあるべき被告人の所為を繞る単なる情状に過ぎない事実の法的評価を誤り採用すべからざる期待可能性の理論を適用して被告人の刑事責任なしとした非違があり到底破棄を免れないものと思料し速かに原審判決を破棄の上更に相当の判決を求める次第である。

弁護人の答弁

本件控訴申立の趣旨は昭和三十三年十月二十四日附控訴趣意書記載の通りであり、その第一点は期待可能性がないとの理由をもつて罪とならないものとした原判決は法律の解釈適用を誤つたものであると謂い、第二点は仮りに期待可能性理論の適用を認容するとしても、本件において被告人が適法行為に出ることを期待することが不可能であつたとは認め得ないと謂うのであるが、論旨はいづれも理由なく本件控訴は棄却せられるべきものと思料する。

第一、控訴趣意第一点について 検察官の控訴趣意第一点は「凡そ法典主義の下に成文法を基調としているわが刑罰法秩序の下にあつては、一定の行為が犯罪構成要件に該当し、且つ違法性を具備する限り、その行為者の刑事責任を否定するには刑罰法令上の明確な根拠を必要とする」との見解に立脚し、「期待可能性の理論はいわゆる超法規的理論であり、その法理的構成もなお未確定な現状であつて」「わが大審院及び最高裁判所は故意について終始一貫して所謂認識主義の立場に立ち、期待可能性の理論を是認していない」のみならず、昭和三十一年十二月十一日第三小法廷判決(最高裁判所判例集第一〇巻一二号一六〇五頁)は「期待可能性理論の採用に否定的態度を示し、」昭和三十三年七月十日最高裁判所第一小法廷判決(同上判例集第一二巻一一号二四七一頁)は「期待可能性の問題に触れることを避け慎重な態度を採つており、」期待可能性をもつて「刑事責任を左右せんとするが如きは、法令の解釈適用を誤り、ひいては現行刑罰法令の厳正な適用を不能ならしめる」というにある。惟うに、「法は規範を定立して一定の行為はこれを為すべしと命じ、若しくはこれを為すべからずと禁止し、以つてわれわれに一定の態度を義務づけておるが、法は不能を強いるものではない。規範はその内容たる命令若しくは禁令の履行の可能なる事を前提とし、これを限度とする。而して、その可能といい不可能というも絶対的意味における能、不能をいうのではなく、一般普通人にとつて義務の履行が可能なりとして期待せられるかどうかを標準とするのである。一般普通人が被告人と同一の地位状況の下におかれても、問題の違法行為をしないで、他に適法行為をなすことを期待し得ないときには、その違法行為を非難するのは難きを強いるものである。これは刑法の人間性の否定であつて、法の精神ではない。この趣旨は現行刑法上直接の規定はないが、所謂責任能力に関する規定は間接にこの趣旨を窺知せしめるに十分である。即ち、刑法第三十九条乃至第四十一条の規定は、精神発達の未熟若しくは精神障害の為の責任能力のない者に対し、他に適法行為をすることを期待することができないからこれを罰せずとしておるのである。故に、普通の場合には業務履行が期待せられる責任能力者でも、諸種の事情から義務履行を期待することが出来ない場合に敢えてこれを罰するのは上述の刑法の規定の精神に背くものと認むべきである」というのが、昭和二十三年十月十六日の東京高等裁判所判決の示すところであり、(高等裁判所刑事判例第二巻一号追録十八頁以下)これが期待可能性の理論である。検察官は法典主義の下に成文法を基調としているわが刑罰法秩序の下にあつては、刑罰法令上の明確な根拠なくして刑事責任を否定することは許されないと主張するのであるが、元来法典主義は国民の自由を政治権力の恣意から護らんとする趣旨に出ずるものであり、それは明確な法の規定によらないで、有罪とすることを許さずとするものであるから、犯罪類型の規定に関する限り、解釈によつて新しい類型を作り出したりすることはこれを禁じているが、責任阻却原因の如き無罪とする事由までが有罪とすべき事由と同様、成文法上明確な規定を要するとするものではないのである。期待可能性理論はわが刑法上これを認めた直接の規定は存しないが、「法は不能を強いる」ものではなく、「不能を強いることは刑法における人間性の否定」であり、「法の精神に背馳する」との根本理念に発足するものであり、且つ期待可能性理論の肯認されるべきことは刑法第三十九条乃至第四十一条の規定の趣旨からも窺えるところであるから、「わが刑罰法秩序が法典主義の下に成文法を基調としている」ことも、将又「刑罰法令上明確な根拠」がなく、明文の存しないことも、ともに期待可能性の欠缺をもつて責任阻却原因とする防げとなるものではない。期待可能性理論は昭和三年木村亀二博士によつてわが学界に紹介せられて以来、多数の学者によつて論述せられ、今日においてこれを採用しない学説は皆無の状態である。期待可能性理論があらゆる学説上の立場を超えて通説となつたのは、憶うにその根本思想が法と人間との乖離を除去し、法の世界において人間性を回復しようとするにあり、法と人間との関係について考える人の心に強く訴えて止まないものがあるからである。期待可能性理論の刑法理論の上における体系的地位につき、責任能力及び故意過失と並べてこれを第三要素と解するもの、故意過失の概念中に包括せんとするもの、責任能力と故意過失をもつて責任の原則的要素とし、期待可能性の存在しないことをその例外的要素とするもの等、学説上の差違は存するけれども、期待可能性の存しない場合に責任が阻却されるとすることは軌を一にしているのである。又期待可能性の存否を判断する標準については、行為者標準説、平均人標準説、国家標準説等学者の説くところが分れており、その標準が不明確の如くであるが、このような不明確さは期待可能性理論に限るものではなく、一般条項の形式をもつて表現された法律原理には常に伴うものであり、その故に期待可能性理論をもつて、「未確立の現状」という所論は当らない。大審院及び最高裁判所が故意について所謂認識主義の立場に立つていることは検察官指摘の通りであり、その判例にして、期待可能性理論の当否を正面から取上げて判断した例はないが高等裁判所及び地方裁判所において期待可能性が存しない故をもつて無罪とした判決例は相当多数に上つており、期待可能性理論は今や裁判実務上一般に承認されるに至つたものということができる。検察官は、最高裁判所が期待可能性理論の採用に否定的であり、慎重な態度を採つているものとしてその例証として同裁判所第三小法廷の昭和三十一年十二月十一日の判例及び同第一小法廷の昭和三十三年七月十日の判例を援用したが、前者につき小野清一郎博士は事実上期待可能性の法理論を支持したものとして注目すべき判決とせられ(日本経済新聞昭和三十三年七月十一日朝刊)最高裁判所は期待可能性がないとの主張をもつて刑事訴訟法第三百三十五条第二項にいう「法律上犯罪の成立を妨げる理由」の主張に当り、裁判所は判決において、これに対する判断を示すことを要するものと判示したこと(昭和二十四年九月一日同裁判所第一小法廷判決刑事判例集第三巻十号一九二九頁)に留意すべきである。期待可能性理論が以上に述べた如く独り学界においてのみならず、裁判実務の上においても汎く一般に認められたものである以上、原判決が期待可能性の欠缺を責任阻却原因としたことは、法令の解釈適用を誤つたものでないこと寔に明らかであつて、この点に関する控訴趣旨は理由がない。

第二、控訴趣意第二点について 検察官の控訴趣意第二点は、要するに仮りに期待可能性の適用を認容するとしても、期待可能性理論を適用するに当つては、(1) 被告人の置かれた地位責任、閲歴識見 (2) 違法性認識の程度、認識なしとすれば、過失の程度、(3) 法の期待するもの (4) 類型的諸事情 (5) 健全なる通常人の判断等の諸点から綜合的に判断すべきであるに拘らず、原判決は、(1) 被告人の主観的立場のみから論じ、法(国家、国民)が原判決認定の如き場合において、現職の巡査部長たる警察官に期待するところのものを軽視する嫌いがあり、(2) 原判決が被告人において正当な職務行為と信じたことについては、過失の存したことが明らかであると判示しながら、期待可能性がないと判示したことは、理由にくいちがいが存するか、理論に矛盾があるものというべく (3) 村田克己より本件ダイナマイト等を受領した後速やかに検挙報告等の措置をなさなかつた点、本件ダイナマイト等を後藤秀生に手交した後における監視は十分にできず、上司への報告が遅延することもこれを予知し得たはずである点に被告人の過失があり、その過失は必ずしも軽微なものとは謂い難く、従つて適法行為に出ずる期待可能性なしとすることはできないに拘らず、これを適用して無罪判決を言渡したのは失当であるというのであるが、原判決は被告人の置かれた地位責任その他の諸般の事情を綜合考覈した結果、適法行為を期待することが不可能であつたものと判断したのであつて、被告人の主観的立場のみから論じたものでもなければ、国の警察官に期待するところを軽視したものでもなく、原判決には所論の如き理由のくいちがいもなければ論理に矛盾もなく、被告人には所論の如き過失は存在せず、原判決の判断は正に適切妥当であるから、此の点に関する控訴趣旨も亦理由がない。原判決は証拠に基き、「国家地方警察大分県本部警備部警備課に巡査部長として勤務し、左翼関係の情報収集の任務についていた被告人は、昭和二十七年三月初旬頃同警備部長小林末喜より菅生村(現在竹田市に編入)附近の日本共産党の所謂軍事方針に基く活動の実態を探究把握して直接同人に報告すべき旨の特命を受け、同月中旬頃菅生村に潜入し、市木春秋の変名にて同村大字菅生製材業松井波津生方の住込雇人となり、間もなく日本共産党員後藤秀生等に近づいて同年四月下旬頃後藤から直接入党の勧告を受けてその申込をすませ、(中略)同年五月上旬頃後藤から中核自衛隊の活動方針等について現在武器の収集をしており、現に手投弾を某所に隠匿してあるし、地区や県の上級機関にも上納しなければならないので、引続き武器を入手する必要がある旨の話があつたので被告人はいよいよ後藤等の武器収集等の実態等を探究把握すべき機会を窺つていたところ、同月四、五日頃同村大字菅生字下菅生菅耕方での会合で、後藤より「安藤精米所気付佐藤次郎様」と表記し裏面に「大分黒田」と記載したレポ文を渡され、これをもつて大分県大分郡判田村大字下判田に行き、佐藤から武器の材料を入手してくれとの依頼を受けてこれを応諾した。そこで、被告人は同月十七、八日頃大分市内の前記小林部長宅において、同部長と共に右レポ文の内容を検討したが、それには「先日は有難う。今後定期的に取りに行きたいからお願いする。品物はこの使の者に渡してくれ、男六名、女二名」等と記載されているのみで、後藤のいう武器の材料が如何なるものであるかは全然予測できなかつたため、同部長より改めて「武器の材料を確認し更に佐藤の正体をつきとめるため、佐藤の処へ行き、品物を受取つたら、後藤に渡さねばならないだろう。渡した後は、後藤等の行動をよく監視せよ」との指示をうけて、同日判田村に赴いて、レポ文の名宛人佐藤は実は村田克己の偽名であることを知り、同日夕方まで待つたが、同人の仕事の関係で会えず、菅生村に帰つた。(中略)同月二十九日頃の正午過被告人は判田村大字判田柴尾諫作方附近薪小屋において右レポ文を村田克己に渡し、同人より同人がズボンのポケツトから出した油紙に包んだ長さ十糎位の棒状の物十四、五本、煙管のがん首より少し小さい真鍮製様の長さ三糎位の物十二、三本及び紐状の長さ十米位の被覆線様の物の手交を受けて、所携の新聞紙に包み込み、その際村田の説明により、始めてこれが爆発物であるダイナマイト十四、五本、雷管十二、三本及び爆発物の爆発を惹起すべき装置に使用する器具である導火線約十米であることを知つたのであるが、これを更に風呂敷に包んで携行運搬し、同日夕方頃菅生村に持帰り、これを松井波津生方において保管した上、同日午後九時頃同村菅耕(菅忠愛の父)方表入口土間において後藤秀生にこれを手交したものである」との事実を認定し、(原判決第一の二)更に進んで、(1) 被告人が菅生村に潜入の前後及び本件行為当時における日本共産党の軍事活動は全国的に活発となり、熾烈を極め、緊迫した情勢にあつたこと(2) 本件の菅生村方面においても、治安上警戒を要する事案が頻発しいたのみか、日共党員による武器収集が行われているとの情勢があつたのに、その実態が不明で、治安上情勢把握は緊急を要する事態にあつたこと。(3) 以上の情況にも拘らず、情勢の探究把握はその地理的条件も加つて、極めて困難であつたことから、被告人は上司の特命により、警察官たる身分を祕して菅生村に潜入し、遂に同方面の精鋭分子たる後藤秀生に接近することに成功し、彼等の収集せんとしている武器の種類、数量、関係人物、その保管場所を明らかにしようとしたものであること。(4) 後藤秀生から武器の材料を取つてきてくれと頼まれるや、上司の指示を受けてこれを受領に赴いたものであること。(5) 武器の材料はダイナマイト等の爆発物であつたけれども、これを後藤秀生に交付しないことは、爾後における同人等との接触を断絶することになり、被告人に与えられた任務を遂行するに支障となると考えるのも一応無理のないことであつたこと。(6) ダイナマイト等を後藤秀生に手交後は被告人として可能な範囲においてこれを監視し、且つ上司にその報告をして適宜な措置を講ずべく努力していることを彼是綜合して考慮すると、当時の緊迫した情勢下において警備係の巡査部長たる一警察官として前述の如き特命を上司から与えられ、その任務についたものであるから、その職責を誠実に果さんとする者にとつて、本件ダイナマイト等を村田克己より受領した後、これを運搬、保管して後藤秀生に手交しないことを被告人に期待することは、たとえその行為により大なる法益を害するものであつても、著しく苛酷に失するものと認めざるを得ない。若し健全なる通常人である他の警察官を被告人と同一の地位状況の下においたとしても、本件の如き違法行為に出でず、他に適法行為をなすことを期待することは不可能と認めることが相当である。而して、被告人が上司小林部長から受けた指示は、武器の材料なるものがダイナマイト等であることを予想しないでなされたものであるからといつて、被告人が村田克己から受取つた物件がダイナマイト等であつたとしても、これを後藤秀生に渡すことが当然指示されているものと考えたことは、その使命からして無理からぬところであり、これを直ちに後藤秀生に交付しないで小林部長に報告しなかつたこと及び運搬して同人に交付した後に直ちに報告して事後の指示を受けなかつたことを責めるのは、被告人の置かれた当時の情況下においては著しく難きを強いる嫌があり、ダイナマイト等を手交後の監視について被告人の採つた措置が適切であつたかどうかの点も、未だ叙上被告人の責任を阻却する事由の存在を否定する根拠とするに足りない。よつて被告人の本件所為は爆発物取締罰則第五条所定の構成要件を充足し、それが警察官としての職務遂行の為になされたものであるとして行為の違法性を阻却するものでなく、且つ被告人において正当な職務行為と信じてこれをしたものであるとしても、犯意がなかつたものと認めることはできないが、適法行為を期待することが不可能であつたものとして刑法第三十八条等の法意に準じ、その責任が阻却され罪とならない」と判示した。(原判決第二の四)而して原判決第一の二及第二の四の(1) 乃至(4) に判示せられた本件当時における諸事情並びに被告人のおかれた立場等に関する原審の認定については、検察官もこれを争わないのである。

検察官は「本件期待可能性問題に対する検討ならびに所見」とし、二点をかかげて論述している。これに対し以下この二点につき、その所論の理由のないことを明らかにする。

(1)  検察官は原判決は、被告人が警備係の巡査部長たる一警察官として上司から与えられた特殊任務を遂行せんとする被告人の主観的立場のみから立論し、斯かる場合において法(国家、国民)が現職の警察官に期待するところのものを軽視している嫌いがあると主張し、警察官については緊急避難に関する刑法第三十七条一項の適用が排除せられる等、法は一般国民に対するとは異る期待をもつて臨んでおり、警察法第二条は公共の安全と秩序の維持に当ることをもつて、警察官の責務であると規定し、警察官職務執行法第四条は危険防止の為警察官は通常必要と認められる措置を執ることを命じ、又は自らその措置を執ることができる旨、同法第五条は犯罪予防の為関係者に必要な警告を発し、又その行為を制止することができる旨を規定していること。爆発物を不法に使用することの極めて危険であり、その損害は甚大で社会の秩序を乱す事態を惹起するものであること等の諸点が軽視せられていると論難しているのであるが、原判決は被告人の主観的立場のみから立論したものではなく、所論の点を軽視したものでもない。原判決は「日本共産党の動向は昭和二十六年二月頃以降第四回及び第五回全国協議会において、『非合法活動の強化』『軍事方針について』等この活動方針が定められ、その決定に基きその後『工学便覧』『球根栽培法』等一連の非合法機関紙により、中核自衛隊の組織と戦術、軍事行動等の指令が与えられ、全国各地において活発な非合法運動が行われておつたものであり、あたかもこれに照応して大分県下菅生村方面においても、昭和二十六年八月に菅生村開拓農協組合長の組合費横領事件が発生したところ、これに着眼して大分県大野郡大野町細胞のキヤツプ後藤秀生が菅生村に入り込み、開拓農協の粛正、農地配分、国有地払下等の運動を開始し、これに豊肥山村工作隊員の坂本久夫等が応援に加わり、ボスの排撃、村政批判を唱えて、同年十二月頃には菅生村日農支部の結成に成功するに至り、その頃から共産分子の行動には看過し難いものがあり、治安上警戒を要する事案が頻発する状況であつたので、昭和二十七年一月頃大分県警察本部より警備課員を菅生村へ派遣し、情報収集に当らせるとともに、竹田警察署長にも特別警戒班を編成させ、その警戒及び情報収集に当らせたが、日共の巧妙な戦術と強固な祕密組織による行動に加えて、報復を恐れるためか、村民の口もかたく満足な情報が得られないうちに、同年三月頃党員が武器を収集して居るらしいとの情報があつたので、その種類、数量、入手経路、使用目的とこれに関係する人物を一日も早く明らかにして、その全部を抜本塞源的に行動開始前に検挙して未然に事件の発生を防止し、一般村民の不安を除くべく必要が痛感される情勢に立ち到つたものであり、」かくて被告人は「昭和二十七年三月上旬頃上司小林警備部長より異例の特命、自己の警察官たる身分を祕して菅生村へ潜入し、同地方において日本共産党の行つているという武器収集の実態を探知把握してこれを直接同部長に報告すべき命を受けて特派せられたものであり」(原判決第二の一の(3) )被告人は後藤から「現在武器の収集をしており、現に手投弾を某所に隠匿してあるし、地区や県の上級機関にも上納しなければならないので、引続き武器を入手する必要がある旨の話があつたので、いよいよ後藤等の武器収集の実態等を探知把握すべき機会を窺つていた際、後藤秀生から武器の材料を入手してくれとの依頼をうけ、小林部長より『武器の材料を確認し、更に佐藤の正体をつきとめる為、佐藤の所に行き、品物を受取つたら、後藤に渡さねばならないだろう。渡した後は後藤等の行動をよく監視せよ」との指示をうけ、本件ダイナマイト等を村田克己から受取り、後藤秀生にこれを手交したものである」と認定しているのである。(原判決第一の二)以上の判示は要するに、(1) 被告人が菅生村に潜入の前後及び本件行為当時における日本共産党の軍事活動は全国的に活発となり、熾烈を極め緊迫した情勢にあり、(2) 菅生村方面においても、治安上警戒を要する事案が頻発していたのみならず、日共党員により武器収集が行われているとの情報があつたに拘らず、その実態が不明であつたので、その実態を探知把握して、行動開始に先立ち、抜本塞源的検挙を行うことは、公共の安全を計り治安を維持する為、緊急を要する事態にあり、(3) 以上の情況にも拘らず、武器収集の実態を探知することは日共党の巧妙な戦術と強固な祕密組織による行動に加えて報復を恐れる為か住民の口が堅く地理的関係もあつて、極めて困難であつたところより、情報収集を担当する警備警察官たる被告人は上司の特命により、警察官たる身分を秘匿して菅生村に潜入し、同村方面における精鋭分子たる後藤秀生に接近することに成功し、彼等の収集せんとしている武器の種類、数量、関係人物、その保管場所を明らかにしようとしたものであり、(4) 後藤秀生から武器の材料を取つてきてくれと頼まれるや、上司に報告して、「品物を受取つたら後藤に渡さねばならぬであろう。渡した後はよく監視せよ」との指示を受けて、これが受領に赴いたものであり、(5) 本件ダイナマイト等を受取りこれを後藤秀生に交付しないことは、爾後における同人等との接触を断絶することであり、斯くては、被告人の任務である緊急の要務とせられている武器収集の実態把握が不可能となるのであるから、それは情報係警備警察官として菅生村に特派せられた任務に背反することでもあり、被告人のなし得ないところであるというのである。本件ダイナマイト等を後藤秀生に手交した後の行為は、元来期待可能性理論の適用上、関係のない事柄であるが、原判決は手交後被告人は可能な範囲において、これを監視し、且つ上司にその報告をして適宜な措置を講ずべく努力したと認定している。尚、原判決が「被告人が上司小林部長から受けた指示は、武器の材料なるものがダイナマイト等であることを予想しないでなされたものであるからといつて、被告人が村田克己から受取つた物件がダイナマイト等であつたとしても、これを後藤秀生に渡すことが当然指示されているものと考えたことはその使命からして無理からぬところである」と判示しているのは、受取つた品物を後藤に渡さなければ、後藤との接触を断絶せねばならず、かくては情報収集の任務を遂行するにつき、致命的な支障をきたすことであり、原判決の判断はまことにもつともである。更に原判決は「これを直ちに後藤秀生に交付しないで、小林部長に報告しなかつたこと及び同人に交付した後に直ちに報告して事後の指示を受けなかつたことを責めるのは被告人の置かれた当時の情況下においては著しく難きを強いる嫌いがある」と判示しているが後述のごとく、当時の状況下においては被告人に不可能を強いるものである。

原判決は前述の如く各般の事情を綜合考覈した結果、「本件ダイナマイト等を村田克己より受領した後これを運搬保管して後藤秀生に手交しないことを被告人に期待することは著しく苛酷に失するものと認めざるを得ない」と判断したものであつて検察官のいう如く「上司から与えられた特殊任務を遂行せんとする被告人の主観的立場のみから立論している」ものではない。警察官の責務は「公共の安全と秩序の維持に当る」にあることは検察官指摘の通りであるが、被告人は前記の如く警備警察官として上司の特命により警察官たるの身分を秘匿して菅生村方面における日共党員による武器収集の実態を探知把握せんとしたものであり、それは、彼等が収集していると謂われる武器の種類、数量、関係人物、その保管場所、上納先等その全貌を把握し、これを上司に報告して適切な措置により、もつて一般村民の不安を一掃する為の努力であるから、それは正に「公共の安全と秩序の維持」に当ることを責務とする警察官として、その責務の遂行に挺身したものであり、法(国家、国民)が警察官に期待するところに応えんとしたものなのである。警察官等業務上一定の義務あるものは一般国民が緊急避難をなし得る場合もこれを除外されており過失犯においても、法律は一定の身分あるものに対し、重く臨んでいることも亦検察官指摘の通りであるが、被告人は自己に及ぶ危難を回避しようとしたものではなく、寧ろ自己に危難の及ぶ虞れの存する特別の任務に身を挺してことに当つたものであり、本件は警察官の身分を有する被告人がその業務の執行に当り、必要なる注意義務を怠つたという事案ではないのであつて検察官の所論はあたらない。爆発物を不法に使用することの危険と損害は極めて甚大であり、爆発物件を国家権力機関に対し不法に使用することは治安維持に対し重大な脅威を与えるものであるから、これ等の所為は爆発物取締罰則の法意に照し、合理的且つ厳正に評価せられるべきことも又検察官所論の通りであるが、爆発物の危険性という抽象的観念のみによつて立論すべきではなく、飽くまでも具体的事情に即して判断すべきである。

原判決は「被告人が菅生村に特派されるに至つた経緯、昭和二十七年五月上旬菅方において後藤秀生、菅忠愛、工藤祐次等と会合した際、後藤において中核自衛隊を組織すべきことを提唱し、且つ自らその責任者となることを表明すると共に、中核自衛隊はダイナマイト等の武器をもつて警察関係を襲撃する組織である旨の説明があつたこと、その頃被告人は後藤より現に手投弾を或る所に隠していると聞かされていた事実、本件ダイナマイト等は武器の材料として受取り方を依頼されたものである点、しかも右レポ文によると後藤は被告人に対する右依頼前より既にダイナマイト等の継続的収集を企図し、これを実行していたことが明白である事実、当時全国各地において日共による所謂火焔瓶斗争が執拗に繰返し行われていた事実に、被告人自身は左翼関係の情報収集者として有能優秀な警察官であつたこと等の一般事情を合せ考えると、被告人は本件行為当時後藤秀生等が不法に使用する意図の下に本件ダイナマイト等の入手を実施していたものであることを知悉していたことを窺うに足り、むしろ、被告人が敢えて後藤秀生のために本件を犯した意図は、爾後における本件ダイナマイト等の使用の状況の具体性を探知究明するにあつたとみるのが相当である」と判示した。然しながら右は明らかに事実の認定を誤つたものであつて、これを容認することはできない。原判決の援用する証拠を検討するに、被告人の知情に関する直接証拠は菅忠愛の検察官に対する供述調書と裁判官の同人に対する証人尋問調書のみであつて、他は悉く単なる間接証拠に過ぎず、菅忠愛の右供述調書並びに尋問調書は後記のごとくともに措信するに価しないものであり、原判決の掲げる右間接証拠はこれを綜合するも未だもつて被告人の知情を認めるに足らず、斯かる証拠のみにより知情の事実を認定することは甚だしく失当と断ぜざるを得ないのである。原判決援用に係る菅忠愛の検察官に対する供述調書(検第十一号)並に裁判官尋問調書(検第十四号)には、昭和二十七年五月五日頃菅耕方において後藤秀生が菅忠愛、工藤祐次及び被告人に対し中核自衛隊の結成を提唱し「中核自衛隊は、四、五人が一組となり上からの命令で軍隊式に動き、警察とか進駐軍とかを襲撃する組織であり、武器としては鎌やトビロなど農家にあるものを使い、竹槍やダイナマイト瓶を使う」と説明したが、菅忠愛は加入に反対し、工藤は黙つており、結局中核自衛隊の話はまとまらなかつた旨の記載があり、右供述調書中にはその時の「後藤の態度は真剣であり、中核自衛隊を作つて警察を襲撃しようとの相談は冗談などではなく同人がそのような恐ろしいことを考えていることを私は本当に驚いた」との記載はあるが (1) 菅忠愛の検察官に対する供述調書の記載を同人の原審公判における証言と対比して観れば明らかな通り、同人の供述内容はその時その場合によつて変転して居るのみならず、検察官に対しては只管自己が後藤のいう中核自衛隊に入るのを断つたことを強調せんが為、殊更に誇張してなされたものであつて、たやすく措信し難く (2) 中核自衛隊の使用する武器として鎌、トビロ、竹槍と並べて突如ダイナマイト瓶を使うと述べたとすること自体奇怪の感を抱かしめるのであるが、裁判官の審問に対しては当初ダイナマイト瓶のことを述べず、裁判官より「武器の中にはダイナマイトは入つているのか」と聞かれて漸く「ダイナマイトも武器に使うのだといつていた」と答えた点ダイナマイト瓶とダイナマイトとの相違すら介意することなく供述している点からするも後藤がダイナマイトを使うと話したというのは甚だ疑わしく、(3) 被告人は原審公判において後藤より中核自衛隊の話を聞かされたことはあるが、その際同人がダイナマイトを武器として使用するとは聞いていないと供述しており、(4) その席に列つた工藤祐次が後藤の話を如何に聞き取つたかは同人の供述調書が証拠として提出されていないのでこれを知る由もないが、検察官よりその提出のなかつたところよりすれば、同人はダイナマイト等の話を聞いたとは供述しなかつたものと思料せられ、後藤がダイナマイトを武器として使用する話をしたものとは到底認めることが出来ない。仮りに菅忠愛の供述が事実であつたとしても、これは後藤が中核自衛隊なるものの説明をしたときの言葉であつて、後藤がダイナマイトを使用して駐在所なり警察署なりを襲撃しようと提案したものでもなければ、自己が左様な計画をしていると打開けたものでもなく、いわんやその襲撃にダイナマイトを使用することを示唆したものでないことは聊かの疑も存しない。「後藤の態度は真剣で中核自衛隊を作つて警察を襲撃しようという相談は決して冗談ではなかつた」との供述記載については、元来日本共産党の中核自衛隊は極めて意識の高い尖鋭分子をもつて構成されなければならぬことは「中核自衛隊の組織と戦術」なる軍事論文(検第三号)の内容から見ても明らかであるに拘らず、当夜菅方へ豆乳を配達に来た一中学生の工藤祐次や高等課程を卒えて間のない菅忠愛や党員でもない被告人を相手とし、同人等を構成員として中核自衛隊を結成することを提唱したこと自体、後藤が真剣に中核自衛隊を結成しようと考えていたものでないことを示すものであり、被告人の観察する如く後藤が党の上部機関に対する手前、形だけでもと考えて提唱したものと認められるのみならず、中核自衛隊の結成がなるやならずの席上、後藤がダイナマイトをもつて警察を襲撃するなどという重大な計画を意図している等ということを打ち開けるとは到底考えられない。従つて菅忠愛の右供述並に証言は措信し難く、これを証拠として被告人が後藤において不法に使用する意図の下にダイナマイト等を収集するものであることの情を知つていたことを認定し得ないものと謂わなければならぬ。日本共産党の「中核自衛隊の組織と戦術」なる軍事論文は軍事活動の教科書ともいうべきものであり、その中には「条件によつて手榴弾などが武器となる。」という一節があるが、「武器や資金は階級斗争の力を補うものに過ぎず」「行動を決定し勝敗を決定するものは大衆斗争である」とすることが該論文の主眼であり、「従つて中核自衛隊は将来軍事行動に備えて凡ゆる武器の準備をし、これを運用する教育と訓練を行わなければならないが、これを用いる場合には大衆の力を強める立場から、条件に応じて運用しなければならない」としているのである。即ち斯かる場合には斯様なものも武器となり、これが使用は条件に応じて行わねばならぬと説明しているのみで、具体的に何時如何なる目的物に如何に使用するかについては更に説明するところもなければ指示するところもないのであつて、単なる抽象論を述べたに止まるのである。後藤等において右軍事論文の内容を知つていたからといつて直ちに同人等がダイナマイトを不法に使用する意図を有したと為し得ないことは勿論であるが、同人等が右論文の内容を知悉していたという証拠は全く存在しないのである。「中核自衛隊の組織と戦術」なる軍事論文は昭和二十七年二月日共党の秘密出版物「球根栽培法」二月号に登載せられたのであるが、国家地方警察本部においては苦心の末これを入手し、「資料」中に収録して各都道府県警察本部に参考として配布し、その「資料」が大分県警察本部に到着したのは被告人の菅生村に特派せられた後である同年三月三十一日であり、この「資料」は同警察本部の少数幹部がこれを閲読するのみで、被告人の如く警備課勤務の巡査部長の地位にあるものといえども、これを読むことの許されなかつたことは、原審における浜中英二、神山高明の証言によつて明らかであり、その間被告人が右軍事論文を閲読したことなく、その内容につき小林警備部長その他の上司から説明を受けたという証拠もなく、その事実もないのである。被告人の検察官に対する供述調書中には、被告人が右軍事論文を読んだことがある旨の記載があり、「工学便覧」「球根栽培法」「内外評論」等一連の非合法機関誌に言及している部分の記載があるが、被告人がこれ等の軍事論文を閲読したのは、大分県巡査部長を辞職した後、国家地方警察本部に警備課資料係として勤務中のことであり、それによつて得た知識を加えて検察官に説明したものであるから、右供述記載をもつて本件の行為当時において被告人が右軍事論文の内容を知悉していた証拠とすることはできない。昭和二十七年二月二十四日附大分合同新聞(検第三五号)には、「中核自衛隊の組織と戦術」の内容につきやや具体的記事が掲載せられているが、総べての人がその記事を読んだとは限らず、被告人としても出張或はその他の用件で新聞記事を読まないこともあり得るし、又読んだとしても記事内容の細部に亘り逐一記憶にとどめて読むとは限らない。被告人がその記事を読みその内容を詳知していたという証拠はないのであるから、右新聞記事をもつて被告人の知情を立証する証拠となし得ないことは論ずるまでもない。被告人が左翼関係の情報収集担当者として有能優秀な警察官であつたことは原判決の判示する通りであるが、優秀な情報収集者であるからといつて、下級警察職員である被告人が日本共産党の軍事活動の実態やその方針、中核自衛隊の組織や戦術の総べてを詳細に知悉しているということにはならないし、況や後藤秀生等の意図が奈辺にあるかを知つていたとなし得ないことは論議の余地がない。本件ダイナマイト等は「武器の材料」として受取り方を依頼されたものであり、レポ文によれば後藤秀生は被告人に対し依頼するより以前、既にダイナマイト等の継続的収集を企図し、これを実行していたものと窺知し得る如くであるが、これによつて直ちに被告人が情を知つていたものとすることはできない。被告人は後藤秀生より「手投弾を或る所に隠していると聞かされていたが、謂うところの手投弾が如何なるものであるかその隠匿場所はどこであるかの点は探知し得なかつた」ことは原判決認定の通りであり、レポ文には「先日は有難う、今後定期的に取りに行きたいからお願いする」と記載せられているが、後藤秀生と村田克己との間には既に彼等の所謂武器の材料なるものの授受が行われたことは必ずしも明らかでなく、原判決認定の如く、被告人は後藤より「現に手投弾を某所に隠匿しているし、地区や党の上級機関も上納しなければならないので、引続き武器を入手する必要のある旨の話を聞いていた」のみならず、後藤に中核自衛隊の結成を提唱したり、「何時もやろうやろうと云つていたが、その実行行為は脅迫したり、いやがらせ等をする程度であり、当時ダイナマイトを使用した事例を聞いていなかつた被告人としては、後藤等がダイナマイトや手投弾を直接使用することは考えず、それ等を上級機関に上納するのではないかと想像していた」(被告人の検察官に対する供述調書検第三四号)というのであるから、原判決の掲げる右事実により被告人の知情を肯認することはできない。その他被告人が菅生村に特派せられるに至つた経緯を綜合してこれを観るも、未だもつて後藤秀生がダイナマイトを不法な目的をもつて使用する意図を有し被告人がその情を知つていたものとすることはできない。仍て、被告人が捜査、公判を通し一貫して供述している通り、被告人は後藤が本件ダイナマイトを直接自ら使用するとは考えておらず、これを上納する為収集するものと考えていたものと認めるべきであり、被告人が後藤秀生等において本件ダイナマイト等を不法に使用するものであるとの情を知つていたものと認定した原判決は事実の認定を誤つたものと云わなければならない。

被告人が村田克己より受領したものは、ダイナマイト等であつたが、その危険性については前述のごとく具体的事情に即して判断せられるべきものであり、検察官の所論は当を得ない。なお、検察官は、警察官職務執行法第四条及び第五条を援用しているが、被告人は警備警察官として危険を防止するため、武器収集の実態を探知する任務にあたつていたものであり、犯罪者又は関係者が何人であるかを明らかにせんとしていたものであるから、本件についてこれらの法条を云々することは当らない。

(2)  検察官は原判決が「被告人が正当な職務行為であるとの確信の下に本件所為をなしたものであることはこれを認められないではないが、本件ダイナマイト等を後藤秀生に一度交付する以上、被告人並に上司の努力にも拘らず、予期しない事態を招来し、爆発物の不法使用を惹起するかも知れないことは当然予想すべきであるのに、その職務を逸脱して該爆発物を交付したものであるから、これを正当な職務行為と信じたことについては過失があつたことが明らかであり、違法の認識又は意識を全く期待し得なかつたものとは認められないので、被告人は犯意を欠き罪とはならないという弁護人の主張は是認し難い」と判示(原判決第二の三)しながら、本件につき「適法行為を期待することが不可能であつたものとして、無罪の判決を言渡したことは「理由にくいちがいが存するか、論理に矛盾が存する」と主張する。原判決第二の三掲記の右判示は「被告人は本件所為を正当な職務行為として確信して行つたものであり、かく信じるについて相当の理由があり、過失があつたものということはできなかつたから、犯意を欠き罪とならない」とする弁護人の主張に対する判断として為されたものであるが、その趣旨は、原判決が第三の二において弁護人の「本件は刑法第三十五条に規定する正当の業務に因り為した行為であるから違法性を阻却する」との主張についての判断を示したところと変るところがないのであつて、右は畢竟するに刑法第三十五条に規定する正当の業務行為に該らないとする理由を判示したものに外ならないのである。而して期待可能性理論は所謂超法規的責任阻却事由とせられているのであるから、本件が刑法の規定する責任阻却事由なる正当な職務行為に当らないとすることは、期待可能性の欠缺を認める妨げとなるものではないから、原判決は「理由にくいちがいが存するか、論理に矛盾がある」とする検察官の所論は理由がない。検察官は「確定的に違法性の意識があるときは、殆んど期待可能性の不存在は論ぜられる余地はなく、例えば違法性を意識しないことにつき存する過失が大であれば、従つて期待可能性は全面的に存在し、次に過失が中であり、更に小となつて行けば、逐次期待可能性も中、小と減少して行くと論ずることができるわけである。」とする下村康正博士の所説を援用し、「本件爆発物受領の大分郡判田村と国警大分県本部の所在する大分市とはわずか約十四粁の距離にあり、国鉄豊肥線、バス、電話、駐在所、警察電話等もあり交通連絡は極めて簡単にできる状況下にあつたにも拘らず、速かに検挙、報告等の措置をなさなかつた点について過失があり、被告人は当時おかれていた自己の環境、立場上十分な監視ができず、上司に対する報告が遅延することについても当然予知できたと認められるに拘らず、交付した点についても過失があり、これらの過失は必ずしも軽微とは云い難いものであつて、到底違法行為に出ずる期待可能性なしと為すを得ないものと云わねばならない。」と主張し、交付後における監視としては自ら尾行張込等をなし、又はこれを為さしめるべく上司、駐在所、管轄竹田地区警察署等に連絡する等の措置を執るべきに拘らず、被告人はかかる措置に出でず、夜間或は昼間製材所で仕事中の監視は全く野放し状態であつたと認むべく、かかる状況下に菅生村巡査駐在所爆破事件が発生したと論難する。然しながら、被告人は小林部長から「報告は総て直接口頭で自分にせよ」と命ぜられておつたので、若し本件ダイナマイト等を後藤秀生に渡す以前において大分市に出て小林部長に報告するとすれば菅生村への帰宅は翌日となり、その間雇われ先の松井波津生方家人に不審の念を抱かれる虞れもあり、ダイナマイト等を受取りながらこれを後藤へ交付せずして小林部長の許に赴いたことが後藤の知るところとなれば、同人との連絡が断絶することは勿論被告人の身に危険の及ぶ懸念すらあつたものであるから、同部長に即刻報告せよということは不能を強いるものと云うも過言ではない。又本件ダイナマイト等を後藤に手交後直ちに大分市に赴き同部長へ報告し得なかつたのは、既に五月二十九日松井方における仕事を休んで判田村大字下判田まで、出向いておるので、その翌日又は翌々日休業して大分市に赴き同部長に報告することは、松井方家人のみならず後藤等に疑念を抱かれるおそれがあり、武器収集の実態を探知し得ないこととなるのでこれまた不可能であつたと謂わねばならない。又部長の指示に反し電話によつて小林部長に報告するとしても、事柄の性質上一般の電話は使用することが出来ず、郵便局の電話は他人に聞かれることなしにこれを使用することができず、警察官たる身分を秘匿していたので、駐在所の警察電話を使用することもできなかつたのである。被告人は本件ダイナマイト等を受領交付後でき得る限り速かな機会において大分市に赴き小林部長に報告すべく、それまでは後藤秀生の動静に対する監視に努めていたのであるが、五月三十一日後藤より実力行使のことを話され、一旦これを阻止し得たものの、猶予ならずと考え、翌六月一日竹田市に出向き、竹田地区警察署の電話により同部長に従前の顛末を報告して対処方を求めたものである。従つて被告人が小林部長に対し報告するについて過失があつたとする検察官の主張は全く理由がない。又被告人は五月二十九日夜は菅耕方に赴き後藤秀生に本件ダイナマイト等を手交し、同人がこれを同家二階に蔵置したことを確認した上十二時に同家を辞去し、翌三十日夜も同家に赴き、後藤等に面接して本件ダイナマイト等の動かされた形跡のないことを確認し、翌三十一日夜は後藤から呼出され、菅生小学校に赴き、同人等と会合し、後藤秀生が駐在所に対し実力行使をする意図を有することを知り、翌六月一日これを小林部長に報告したのであり、その間昼間は松井方にあつて仕事をしながら近所の菅方に居た後藤の動静について注意していたが、同人の外出する様子は認められなかつた。しかも後藤が昼間ダイナマイト等を持ち運ぶが如き危険なことを行うとも思料せられず、殊に同人は被告人を信頼して本件ダイナマイト等の受取方を依頼した程であるから、若し同人が菅方に隠匿した本件ダイナマイト等を他所に移動する場合は必ずや被告人にそのことを話し、或は被告人をしてその移動に当らせるものと考えていたというのである。すなわち被告人の行つた後藤との緊密な連絡こそ必要にして十分な監視方法であり、これ以上の処置を求めることは当時の状況下被告人に不可能を強いるものといわねばならない。検察官は上司に対する報告が遅延し、十分な監視が行われなかつた為に菅生村巡査駐在所爆破事件が発生したかの如くいうが、誣いるもはなはだしい。被告人は五月三十一日後藤秀生が菅生村駐在所に実力行使を行う意図を有することを知るや同人の行わんとする実力行使とは火焔ビンの投擲かと考えたのであるが、猶予し難きものとし、翌六月一日正午頃に小林部長に対し本件ダイナマイト等を後藤に手交したこと、それが菅耕方に隠匿されていること、後藤が駐在所に実力行使の意図を有し、五月三十一日夜はこれを中止せしめたこと等を報告して対処方を求め、その結果同部長は直ちに後藤秀生等の検挙の意を決し、所要の手続を了し、竹田地区警察署長に対し後藤の逮捕並に菅耕方における捜索方を指揮し、国家地方警察大分県本部警備課次席警部桑原唯七に対し菅生村駐在所附近における警備措置を特命し六月一日深更右駐在所附近において後藤秀生と坂本久夫の両名を逮捕し、菅方において本件ダイナマイト等を押収し得たものである。不幸にしてその際にダイナマイトびんが同駐在所に投擲せられる事件発生を見るに至つたけれどもそれは被告人の監視が不十分であつたからではなく、その報告が遅延したからでもない。被告人が最善とするところに従い、後藤秀生と緊密な連絡を採つていたからこそ、同人等の意図を探知し得たのであり、その報告は機を逸せずして行われ、時間的には事件の発生を阻止するに十分な余裕があり、これを阻止し得るよう警備手配が行われたのであるが、現場に張込んでいた警察官に僅かな心のゆるみがあつた為ダイナマイトびんが投込まれたに外ならないのである。されば被告人の監視は適切妥当であり、その報告は時期を得たものであつたと謂うべく、報告の遅延につき被告人に過失があつたとは認め難い。以上により「被告人の本件行為については数多の過失が認められ、その過失は必ずしも軽微とは云い難い」として本件に期待可能性理論を適用すべきでないとする検察官の主張は理由のないこと明白である。更に検察官は「後藤秀生等が不法な目的に使用する意図の下に本件ダイナマイト等を収集していたものであることは被告人においてこれを十分知悉していたものであり、村田克己より武器の材料なるものを受領した際、それ等がダイナマイト等の爆発物であり且つその入手経路並びにこれに関連する人物、入手目的等判明したのである。即ち爆発物取締罰則違反の事態が現に発生したのであるから、たとえ被告人に情報収集の任務があつたとしても、警察官本来の使命に立還り、犯罪の予防、犯人の検挙への配慮、上司への報告の措置を為すべきであつた」と主張する。後藤秀生等が不法な目的に使用する意図の下に本件ダイナマイト等を収集するものであり、被告人がその情を知りながら、これを運搬して後藤に交付したものであることは本件において期待可能性の存否を論ずることの出発点であり、後藤に右の意図がなく、意図があつても被告人においてこれを知らなければ、期待可能性理論の適用を論ずる必要を見ないのである。而して被告人は情報収集を専務とする警備警察官であり、上司の特命により菅生村附近における日共党員の武器収集の実態を探知把握する使命を有していたものであつて、前叙の如く本件ダイナマイト等を受領した後直ちに報告をすることが自己の任務遂行上不可能であり、これを後藤秀生に手交した後は、適切妥当な看視を継続し、機をいつせず上司に報告したものであるから、被告人が上司への報告をなすにつき過失があつたとは到底認め難く検察官の所論は当をえない。

以上論述した如く、元来被告人は後藤秀生において本件ダイナマイト等を不法な目的に使用する意図のもとに、これを収集していたものであることを知らなかつたのであるから、本件はこの点において爆発物取締罰則第五条に規定する犯罪の構成要件を欠き被告人は無罪とせられるべきものである。かりに然らずとせば原判決の判示する如く本件被告人の行為については期待可能性がないものと認むべきであつて原判決の判断は適正であり検察官の主張は理由がない。仍つて本件控訴は理由なきものとしてこれを棄却するべきものと思料する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例